吉岡 卓さん(@ponpoko1829)のカレンダー・ブログ形式Twitter | meyou [ミーユー]

 
吉岡 卓のカレンダー形式ツイート履歴
  • 10/25(水)
  • 125 tweets
  • 18時
  • 8 tweets
  1. ponpoko1829

    10月25日

    125p:公正に報道せず、自紙に都合の良い記事を捏造する形 になった・・この様な性癖が染み付いている。 .. (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、 このブログを世界へ転送してください) blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
         

  2. ponpoko1829

    10月25日

    124p:公式の場で明確に発言しているのにである・・ 公正に報道せず、自紙に都合の良い記事を捏造する形 になった・・この様な性癖が染み付いている。 .. (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、 このブログを世界へ転送してください)
         

  3. ponpoko1829

    10月25日

    123p:結局、嘘記述となった朝日新聞は、ニクソン副大統領 の公式の場における重要発言を隠してしまった・・、 「当時のGHQの指導による大日本国憲法を改正した 日本国憲法(第9条:戦争放棄等)は誤り」・・と、 公式の場で明確に発言しているのにである・・ 公正
         

  4. ponpoko1829

    10月25日

    122p:「日本が、自由と独立を欲するならば、適当な防衛力 を維持しなければならない」というところを強調しただ けだった(朝日新聞、1953年11月19日、夕刊) 結局、嘘記述となった朝日新聞は、ニクソン副大統領 の公式の場における重要発言を隠してしまった・・、
         

  5. ponpoko1829

    10月25日

    121p:朝日新聞は、読者に誠実に正確に伝えないで、事実を 歪曲して伝えた・・、 肝心の「憲法改正は誤りであった」とする主旨は、そ の肝心部分の記述は削除した。 結局、また、嘘を伝える朝日新聞となった・・、 「日本が、自由と独立を欲するならば、適当な防衛力
         

  6. ponpoko1829

    10月25日

    120p:『アメリカが、日本を非武装化したのは誤りであった』と明確に意思表示 して・・示した。 しかし、このニクソン副大統領の発言を、朝日新聞は、 いつもやる様に、偏向報道をした。 朝日新聞は、読者に誠実に正確に伝えないで、事実を 歪曲して伝えた・・、
         

  7. ponpoko1829

    10月25日

    119p:「私は、この場で、1946年に、アメリカ合衆国は過ち を犯したことを認めよう」・・と・・、 アメリカの最大級の要人・ニクソンが・・、 1946年の日本の憲法改正によって、『アメリカが、日 本を非武装化したのは誤りであった』と明確に意思表示 して・・
         

  8. ponpoko1829

    10月25日

    118p:このニクソン発言は、日米協会が主催した午餐会で発 言された。 この時のニクソン発言は・・、 「日本の非武装化は、1946年の時点では正しかったと しても、1953年の段階では間違いではないだろうか」と 言った・・そして・・さらに、 「私は、この
         

  • 17時
  • 55 tweets
  1. ponpoko1829

    10月25日

    117p:30年以上も前に作られた功績であるが、まだノーベル 賞は送られていない。 . 1953年11月、ニクソン・アメリカ副大統領が来日した。 そして、『日本の憲法に、第9条(戦争の放棄)を入 れたのは間違いだった』と言った。 このニクソン発言は、日米協会が主
         

  2. ponpoko1829

    10月25日

    116p:「エイズが駆逐された」という現代になっても・・ その功績が偉大であると明白となった現時点に至って も、 世界中の方々が、安心領域の病気となったという現在 においても、先生へ、ノーベル賞は送られていない。 30年以上も前に作られた功績であるが、まだノ
         

  3. ponpoko1829

    10月25日

    115p:この大変素晴らしい功績、多くの人類を救済をされて いる業績・・、当然、ノーベル賞級の人類貢献であるが、 キリスト教国に甘い・・偏するノーベル賞検討委員会は、 今だに、先生へ、ノーベル賞を送っていない。 「エイズが駆逐された」という現代になっても・・
         

  4. ponpoko1829

    10月25日

    114p:あまりにも酷い病気・死に至る病気であるため、皆がしり込 みをした。 しかし、満屋先生は、自ら進んで研究を始められた。 この様な経緯から・・満屋先生は、この素晴らしい功 績をあげられた(佐藤健太郎著「世界史を変えた薬」を 御覧ください) この大変
         

  5. ponpoko1829

    10月25日

    113p:特許料を払わずに使える医薬品として世界で初めて国連の機関に登録さ れた。 それ故、満屋先生は、エイズ治療薬を4つも作られた。 研究を開始する時(初め)、満屋先生は、「アメリカ でエイズの研究をしないか?」と皆が言われた時、あま りにも酷い病気・死に至る
         

  6. ponpoko1829

    10月25日

    112p:インフルエンザに似た症状から、筋肉痛や皮疹な どが出る場合もある。 2006年には、満屋先生が、アメリカの研究者との共同 研究で開発したHIV治療薬「ダルナビル (en:Darunavir)」 が、アフリカの方々や途上国の方々が、特許料を払わず に使
         

  7. ponpoko1829

    10月25日

    111p:薬剤治療でも根治ができない。 急性期HIVに感染すると、感染後2週間目から4週 間目くらいの間に、HIVは、急激に体内で増殖を始め、 CD4陽性リンパ球が破壊されて行く。 この時期は、発熱・のどの痛み・だるさ・下痢など、 風邪やインフルエンザに似
         

  8. ponpoko1829

    10月25日

    110p:選択的に感染し、自らの遺伝子をヒトの遺伝子に組み込む。 その後、感染したCD4陽性細胞を破壊しながら増殖し、 一部の感染細胞は破壊されることなく休眠し、人の体内 で長い期間潜伏する。 このため、HIV感染症は自然に治癒することはない。 薬剤治療
         

  9. ponpoko1829

    10月25日

    109p:血液を介しても感染する。 また、感染した母親から出産時に新生児に感染する危 険もある。 そして、血液で汚染した針の使いまわしの感染もある。 HIVは、免疫を制御するCD4陽性細胞(T細胞、 マクロファージ、樹状細胞など)に選択的に感染し、自
         

  10. ponpoko1829

    10月25日

    108p:ますます、先生の功績の恩恵を受ける人々が増 え続けている。 エイズ(後天性免疫不全症候群:AIDS)は、ヒト 免疫不全ウイルス(HIV)の感染によって引き起こさ れ、1型と2型があり、日本では、1型が流行している。 性感染が多く、また、血液を介して
         

  11. ponpoko1829

    10月25日

    107p:また、慶応医学賞など受賞多数となっている。 エイズは、かつては、死を意味していたが、今では、 早期に治療開始によって、先生の功績のお蔭で、その様 な状況ではなくなった。 世界は、今でも、エイズ患者が増え続けるという状況 にあり、ますます、先生の功績
         

  12. ponpoko1829

    10月25日

    106p:(苦しまれている患者の方々を救うことに主眼を置かれている) この事例の様に、アメリカは、日本の重要な特許を、 今まで「いくつも奪って来ている」。 満屋先生は、2007年に、紫綬褒章を受され・・2015年 には、日本学士院賞を受賞された・・また、慶応医
         

  13. ponpoko1829

    10月25日

    105p:世界で2番目と3番目のHIV治療薬(「ddⅠ (en:Didanosine)」と「ddC (en:Zalcitabine)」)を開発 された。 これ等の薬を、満屋先生は、ライセンスを企業に与え る際に、『適切な価格での販売』を条件にしている(苦 しま
         

  14. ponpoko1829

    10月25日

    104p:(先生は、エイズに苦しんでいる方々へ安価に薬を提供したかった) その為、当然の怒りを示され・・さらに、新しいHI V治療薬の開発・研究へと励まれた。 先生のさらに偉大な所は、第2、第3のエイズ治療薬 を新たに開発されたところだった。 世界で2番
         

  15. ponpoko1829

    10月25日

    103p:当然、書かねばいけない発明者である満屋先生の名前を書き入れなかった。 そして、特許権を取得してしまった。 完全に、特許権を奪う行為をした。 また、満屋先生は、同社が高価格でAZTを売り出し たことが不本意で・・(先生は、エイズに苦しんでいる 方々へ
         

  16. ponpoko1829

    10月25日

    102p:無断で特許を出願してしまった・・(不正行為)・・、 さらに卑劣な事に、発明・開発者欄に、満屋裕明先生 の名前を書かずに出願した・・独占的に奪った行為・・、 当然、書くべき・・そして、当然、書かねばいけない 発明者である満屋先生の名前を書き入れなかった。
         

  17. ponpoko1829

    10月25日

    101p:臨床的な有用性が認められている。 主な副作用は、貧血、及び、白血球減少。 満屋裕明先生のこの功績、この開発に対し・・、 アメリカでの特許権は、実験に協力していたバローズ ウェルカム社が、満屋先生に無断で特許を出願してしま った・・(不正行為
         

  18. ponpoko1829

    10月25日

    100p:正常細胞への影響は少ない。 本剤は、後天性免疫不全症候群(エイズ)及 び、治療前のCD4リンパ球数500/mm3以下の症 候性、及び、無症候性HIV感染症の患者にお いて、臨床的な有用性が認められている。
         

  19. ponpoko1829

    10月25日

    99p:当然、特許権者である・・が・・、 (参考)AZTは・・抗ウイルス化学療法剤で・・、 強力な抗ヒト免疫不全ウイルス(HIV)作用 を示す。 HIV特有の逆転写酵素を阻害し、正常細胞 への影響は少ない。 本
         

  20. ponpoko1829

    10月25日

    98p:1985年(35歳)の時、アメリカ国立衛生研究所で、世 界初のHIV治療薬「AZT」を開発した。 同時に、論文発表もされた・・ これは、しっかしとした「世界最初の開発者・発明者 である」と証明している文献となっている。 当然、特許権者である・・が・
         

  21. ponpoko1829

    10月25日

    97p:日本のウイルス学者で、熊本大学医学部内科学の教授・・、 そして、アメリカ国立がん研究所内科療法部門レトロ ウイルス感染症部部長でもあり、 国立国際医療研究センター臨床研究センター長(2012 年~)などなど・・要職を色々と持たれている方・・、 1985年
         

  22. ponpoko1829

    10月25日

    96p:この偉大な医学者が、日本の満屋裕明先生で、この日 に生誕された。 死に至る病気と、世界中で恐れられていた「エイズ・ ウィルス感染症」の治療薬を作り出した。 この真の救世主である満屋裕明(みつやひろあき、1950 年8月9日~)先生は・・、 日本のウ
         

  23. ponpoko1829

    10月25日

    95p:日本人の無実の・・一般の方々の、あまりにも悲惨な 大きな悲劇も起こされいた。 これでも・・以上は一部の抜粋です。 平和条約締結時には、ソ連はこのすべての補償をしなければならない! . 1950年8月9日、エイズ薬開発者が生まれた。 この偉大な医学者が、日
         

  24. ponpoko1829

    10月25日

    94p:ルーズベルトアメリカ大統領のソ連参戦の誘い水とお りの行動だった。 アメリカ大統領のルーズベルトの、『千島列島や樺太 の領土をソ連が得ることを容認するから」と・・、 ソ連の対日参戦を餌を付けて促(うなが)していた悪 辣行為が・・、 日本人の無
         

  25. ponpoko1829

    10月25日

    93p:何もかも無視して不法行為をしていた。 戦闘行動を続けていた。 ソ連が支配下に置いた地域は、国後(くなしり)・択 捉(えとろふ)・歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん) の北方4島、および、千島列島全域・南樺太・朝鮮半島・ 満州だった。 ルーズベルト
         

  26. ponpoko1829

    10月25日

    92p:ソ連が、勝手に続けていた不法行為が、やっと止めた のが・・1945年9月5日だった。 この日に、ソ連軍が、やっと、日本への攻撃・戦闘行 動を止めた。 ソ連は、ポツダム宣言受諾も無視し、また、日本の降 伏文書調印をも無視し、何もかも無視して不法行為をし
         

  27. ponpoko1829

    10月25日

    91p:アメリカ戦艦ミズーリ号の甲板で、日本政府全権の重光葵と大本営(日 本軍)全権の梅津美治郎、及び、連合各国代表が、降伏 文書に調印しているが、 この様な状況であるのに、不法にもソ連は、まだまだ、 日本を攻撃を続けていた。 ソ連が、勝手に続けていた不法
         

  28. ponpoko1829

    10月25日

    90p:まだまだ悲劇は続いた。 その為、行く末に希望を無くした方々の514名が後に続 くと、集団自決した。 この他にも、この様な事例は多数。 終戦後に、ソ連は酷いことを不法を続けている。 1945年9月2日に、東京湾内に停泊するアメリカ戦艦ミ ズー
         

  29. ponpoko1829

    10月25日

    89p:線路などもはがさせたりした。 そして、その線路は、持ち去るという様な事までした。 1945年8月27日には、ソ連軍に遭遇した日本人の開拓団 の一般の方々が、ソ連軍から攻撃を受けた。 950名の方々が亡くなられた。 そして、まだまだ悲劇は続いた。
         

  30. ponpoko1829

    10月25日

    88p:日本人女性の方々が・・可哀想な事に、 集団自決をするという事が起きた。 この悲惨過ぎる事件が起きた場所は、満州国吉林省だ った・・敦化(とんか)事件という。 悲惨な強姦の多い状況は、筆舌につくせない。 また、ソ連兵は、日本人を使役し、線路などもはが
         

  31. ponpoko1829

    10月25日

    87p:667名の方々が亡くなった。 ソ連との平和条約の締結時には、これら上記のことな どの補償をソ連はするべきである。 そして、満州では、まだまだ悲劇が続いていた。 1945年8月27日には、ソ連兵に『連日に渡り強姦』を され続けていた日本人女性の方々が
         

  32. ponpoko1829

    10月25日

    86p:1708名の尊い命が、日本へ向かって帰国の途にあった 日本人の方々が亡くなった。 樺太からの婦女子を主体とする引揚者の方々だった。 この2船の外にも、白旗を掲げたにもかかわらずソ連 潜水艦は攻撃し、沈没させられた船がある。 667名の方々が亡くなっ
         

  33. ponpoko1829

    10月25日

    85p:1945年8月22日に、日本が降伏をしているのに、ソ連は日本を攻めた。 何と!戦争も終わって、引き揚げる方々へ、日本の引 揚者を乗せた船が、ソ連軍の潜水艦の攻撃によって沈没 させられた。 それも2隻もある・・小笠原丸と泰東丸である。 1708名の
         

  34. ponpoko1829

    10月25日

    84p:ソ連参戦で、色々な事があったのだが、抜粋的に記し ているのだが・・、 次の記述も、戦争が終わっているというのに、起こさ れたことである。 戦争が終わっているのに起こされているので、ソ連の 不法行為であるが・・、 1945年8月22日に、日本が無条件
         

  35. ponpoko1829

    10月25日

    83p:日本人女性方を車に乗せて連れ去った。 その様な女性が、ボロボロになって帰って来る場合も あった・・そしてまた、若い女性が牡丹江に流されて行 くという姿もあった(帰れずに川に身投げ)。 行方不明となってしまった女性方が数知れず居た。 ソ連参戦で、色々
         

  36. ponpoko1829

    10月25日

    82p:アメリカが、原因者の一端に居る事は、今後も免れ得 ない。 満州人や朝鮮人には襲撃しなかった。 日本人を狙っての行為だった。 ソ連兵の卑劣な行為が多かった、女性方は暴行された。 ソ連兵は、物を奪い持ち出す様に、日本人女性方を車 に乗せて連れ
         

  37. ponpoko1829

    10月25日

    81p:ドイツの方々のジェノサイド行為であるとの反省行動と同様な行為を、 ソ連は、なすべきである また、共犯であり間接原因者であるアメリカも、反省 を表明すべきである(謝罪文を書きなさい)。 アメリカが、原因者の一端に居る事は、今後も免れ得 ない。 満
         

  38. ponpoko1829

    10月25日

    80p:中国残留孤児や中国残留婦人となった方々も多 く居た。 これは、明らかにソ連は軍人であり、軍隊である。 一般民間人に対する殺戮行為は、「戦争犯罪」である。 無差別な大量虐殺のジェノサイドである。 ナチスのユダヤの方々に対する行為を、ドイツの方々
         

  39. ponpoko1829

    10月25日

    79p:ソ連兵に見つかり、暴行を受け、強姦される女性 たちも多かった。 また、ソ連兵は、家に火を付けて回った。 隠れていた家に、火を付けた枯れ草を投げ入れられて、 焼け死んだ人たちなども多かった。 また、中国残留孤児や中国残留婦人となった方々も多 く
         

  40. ponpoko1829

    10月25日

    78p:その子供たちに襲いかかり、奪って行った。 この子供たちは、売られたりするのが一般的だった。 悲しいことに、8月15日の終戦が完全に過ぎてもソ連の 襲撃などは続いた(日本の終戦の通達は8月14日) ソ連兵などに見つかり、暴行を受け、強姦される女性 た
         

  41. ponpoko1829

    10月25日

    77p:国民学校の児童たちの死・・、 悲惨な・・地獄であった。 子供を連れた母子に、子供を奪い、母は棒で殴りつけ られ、殺されたりした。 親が殺された子供たちは、生き残った大人たちのとこ ろに集まっていたが、暴民たちは、その子供たちに襲い かかり、奪って行っ
         

  42. ponpoko1829

    10月25日

    76p:全滅したりしていた。 そして、その避難民の方々、僅かに残った生存者にも、 襲撃が執拗に続いた。 中国人も暴徒化して、身に付けている下着まで奪って 行った。 乳房を鎌で切り落とされる女性、川に逃げで溺死する 人々、幼い子供達への襲撃、国民学校の児童
         

  43. ponpoko1829

    10月25日

    75p:そのあまりにもの悲惨さに、自ら命を絶つ、自決・自 殺する日本人の方々も、多い状態だった。 頼みの日本の軍隊は、既に、南転と言って、南方諸島 の激戦地に行って居なかった、日ソ中立条約もあったし・・、 僅かに残った日本軍も奮戦したが、全滅したりしてい た
         

  44. ponpoko1829

    10月25日

    74p:2時間ぐらいの間に、女性や子供を主体とした1000人 以上の方々が殺害されてしまった。 男性は、兵士に駆り出されたりしていたので、南方方 面へ転戦したりしていたので、ほとんどが女性や子供た ちが多いという状態だった。 そのあまりにもの悲惨さに、自ら命
         

  45. ponpoko1829

    10月25日

    73p:東京裁判で裁くべきだった・・が、差別的な、また、 不公正なこの裁判で、裁かれなかった・・ また、トラックで来たソ連兵が、民間人の、避難民の 生存者を見つけ次第・・次々と、銃剣で刺したり・・、 射殺したりした。 2時間ぐらいの間に、女性や子供を主体とした
         

  46. ponpoko1829

    10月25日

    72p:繰り返し、繰り返し・・機銃掃射や攻撃するということを執拗 に繰り返した。 完全に軍人ではない『非戦闘員の方々』への殺戮行為 で、国際法で違反とされる、許されていない行為で・・ 『あからさまな非人道的違反行為をするソ連軍』だった。 東京裁判で裁くべきだ
         

  47. ponpoko1829

    10月25日

    71p:ソ連軍の戦車のキャタピラに巻き込まれて・・引き殺 された日本人の方々が・・宙に舞ったりしたという悲惨 な光景が伝えられている。 そのあと、ソ連軍戦車は、丘の頂(いただき)に戻り、 また避難民の方々を、めがけて突入しながら・・繰り返 し、繰り返し・・機
         

  48. ponpoko1829

    10月25日

    70p:白旗を上げているのに関わらず・・、 ソ連の戦車の機関銃が火を噴き、この銃撃で、多くの方々 が亡くなっている。 また、避難する方々を焼き殺したり、機関銃を撃ちな がら、掃射をしながら・・引き殺したり・・、 ソ連軍の戦車のキャタピラに巻き込まれて・・引き
         

  49. ponpoko1829

    10月25日

    69p:満州の葛根廟鎮において、日本人の避難民の方々の約 千数百人の方々が、この人たちは、9割以上が婦女子で、 この人たちが、ソ連軍や中国人に襲撃され、1000人以上 のほとんどの方々が・・ソ連軍に虐殺されている。 別な場所でも、白旗を上げているのに関わらず・・
         

  50. ponpoko1829

    10月25日

    68p:ソ連の機甲部隊の一斉射撃を受け、600名以上が虐殺されたなどなど・・ など、筆舌につくせぬ事ごとが起きている・・、 1945年8月14日には、葛根廟(かっこんびょう)事件が 起きている。 満州の葛根廟鎮において、日本人の避難民の方々の約 千数百人の方々
         

  51. ponpoko1829

    10月25日

    67p:この様な事件は、この地の各地で起きた。 興安街付近では、東京荏原開拓団で行った方々が中国・ 暴民に襲撃されて、約400名の日本の方々が虐殺された。 また、仁義仏立開拓団の日本の方々が、ソ連の機甲部 隊の一斉射撃を受け、600名以上が虐殺されたなどなど・・
         

  52. ponpoko1829

    10月25日

    66p:ソ連軍突入で、即座に、多くの方々が亡くなったが・・、 歴史として語り継がねばならない事件の一つは・・、 1945年8月12日の満州の麻山付近で、約400名の日本の 方々が、追い詰められ悲惨なうちに集団自決(自殺)し た事件・・、 この様な事件は、この
         

  53. ponpoko1829

    10月25日

    65p:残りは、大使館関係者750人(2.0%)、そして、民間人 家族は240人(0.6%)であった。 ほとんどの一般日本人市民・開拓団民の方々は、満州 に置き去りにされた。 満州に残された一般の日本人の方々に悲劇が始まる。 ソ連軍突入で、即座に、多くの
         

  54. ponpoko1829

    10月25日

    64p:逃げた3万8000人のうち、53%の20310人という半分以上 が軍人関係家族だった。 そして、44%の16700人が満鉄関係の家族だった。 ほとんどが、この両方で97%で、脱出のための仕立てら れた列車は、軍と満鉄の家族のためだった。 残りは、大
         

  55. ponpoko1829

    10月25日

    63p:地獄となった人々・日本人家族たち、そして、1945年 8月11日に、この日に新京から逃げる18本の列車が出た( 正午頃までに)。 逃げられた日本人家族は、3万8000人だった。 逃げた3万8000人のうち、53%の20310人という半分以上 が軍人関
         

  • 16時
  • 62 tweets
  1. ponpoko1829

    10月25日

    62p:さらなる悲劇として、このソ連軍の暴挙に乗っかって、 匪賊(徒党を組んで略奪・殺人などを行う盗賊)となっ た者たちに日本の方々は餌食とされた。 当時、満州の首都の新京だけでも14万人の日本人市民 が居た。 地獄となった人々・日本人家族たち、そして、19
         

  2. ponpoko1829

    10月25日

    61p:突入してきたソ連軍は、満州の荒野を開拓していた満 州開拓団として行った日本の一般市民を襲った・・家族 の方々は逃げまどった。 特に、国境付近の開拓居留民の多くの方々は、この進 攻したソ連軍に踏みにじられ虐殺された・・逃げまどっ た。 さらなる悲劇
         

  3. ponpoko1829

    10月25日

    60p:戦場は、満州以外にも、北朝鮮・南樺太・千島列島に おいても戦闘状態となって行った。 1945年5月のドイツ降伏後、ソ連は、シベリア鉄道を フル稼働させて、満州国境に巨大な軍事力を集結させて いた。 突入してきたソ連軍は、満州の荒野を開拓していた満 州
         

  4. ponpoko1829

    10月25日

    59p:長崎に原爆が投下される前日だった。 日ソ中立条約の『一方的無視』の破棄の参戦だった。 アメリカのルーズベルト大統領の誘い水どおりとなっ た。 1945年8月9日、ソ連は、満州になだれ込んだ。 戦場は、満州以外にも、北朝鮮・南樺太・千島列島に お
         

  5. ponpoko1829

    10月25日

    58p:その様な事を知っているのに、アメリカ大統領のルー ズベルトは、自分さえよければ良いの勝手な思惑で、ソ 連に誘いの話をした。 この事による悲劇は・・1945年8月8日にやって来た。 ソ連は、対日攻撃を開始した。 長崎に原爆が投下される前日だった。
         

  6. ponpoko1829

    10月25日

    57p:西部へ移送し、モスクワ防衛線へ投入した。 そして、この条約は5年間、『1946年まで有効』という 事まで決めていた・・約束していた。 そして、その時に、さらに延長するかどうかを決めよ うとなっていた・・この様にも決めていたのである。 その様な事を知っ
         

  7. ponpoko1829

    10月25日

    56p:事実、その通りとなった・・というより、武 器までもらったら、その通りになるでしょう・・、 この時のはるか以前に、日本とソ連は、 1941年4月13 日に、「日ソ中立条約」を締結していた。 この条約によって、ソ連は、極東に配備していた部隊 を西部へ移送
         

  8. ponpoko1829

    10月25日

    55p:参戦すると回答した(即答した)。 即、回答するような美味しい話を、アメリカは、ソ連 へ持ちかけ、そそのかした・・そして、その戦いの武器 まで、アメリカはソ連へ運び入れ・・渡した。 そして、事実、その通りとなった・・というより、武 器までもらったら、
         

  9. ponpoko1829

    10月25日

    54p:領土欲のあるスターリンは、ソ連は、その話に乗った。 ルーズベルトは、この様な性格のスターリンを良く知 っていた。 ここに、新たな悲劇が始まった。 ソ連は即座に、敗戦濃厚となっているドイツを破った 後に参戦すると回答した(即答した)。 即、回答
         

  10. ponpoko1829

    10月25日

    53p:このニュアンスが消えている。 その話は・・ソ連が参戦すると得るだろう「千島列島 や樺太」を、ソ連の領土にする事をアメリカは認めると 話しかけた・・「奪ってしまえば・・」という悪辣な誘 いである。 領土欲のあるスターリンは、ソ連は、その話に乗った。
         

  11. ponpoko1829

    10月25日

    52p:アメリカのルーズベルト大統領が、1943年10月に、ソ 連へ「対日戦に参戦する」ように要請した(歴史書には この言葉が使われている)・・要請と言っても・・その 話には、卑劣な事に、ソ連が喜ぶ、そして、とくをする 餌(えさ)の話が付けられていた・・このニュアンスが
         

  12. ponpoko1829

    10月25日

    51p:その様にしないアメリカであったため、各地での悲劇が起きた・・特に、ソ連の満州 の虐殺行為と多数の拉致行為など・・、 . 1946年、この年の1946年まで「日ソ中立条約は有効だ」と いう事を、日本とソ連の間で条約により約束されていた。 アメリカのルーズベルト大
         

  13. ponpoko1829

    10月25日

    50p:『世界に対する、事実上の日本の終戦の意思表示とな った』・・ソ連の参戦の意味は、一層、無くなった。 善意ある正義のアメリカであれば、『ソ連の参戦を停 止させるべきだった』・・その様にしないアメリカであ ったため、各地での悲劇が起きた・・特に、ソ連の満州
         

  14. ponpoko1829

    10月25日

    49p:私はこういう風に考えて戦争を即時終結することを決 心したのである」(迫水久常書記官長の証言より) . 1945年8月10日、午後8時すぎ、その旨を同盟通信社のモー ルス信号と、日本放送協会の海外向け放送が伝えた。 『世界に対する、事実上の日本の終戦の意思表示と
         

  15. ponpoko1829

    10月25日

    48p:一人でも多くの国民に生き残っていてもらって、その 人たちに将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この 日本を子孫に伝える方法はないと思う。 ・・みなの者はこの場合、私の事を心配してくれると 思うが、私はどうなってもかまわない。 私はこういう風に考えて戦
         

  16. ponpoko1829

    10月25日

    47p:私は非常に心配である。 あるいは日本民族は、みな死んでしまわなければなら ないことになるのではないかと思う。 そうなればどうしてこの日本という国を子孫に伝える ことが出来るのか。 一人でも多くの国民に生き残っていてもらって、その 人たちに将来ふたた
         

  17. ponpoko1829

    10月25日

    46p:天皇陛下は、『ポツダム宣言の即時受託』による日本 の降伏を決断された。 以下は、この終戦の御聖断の後、昭和天皇陛下の御発 言を迫水久常書記官長が証言している・・、 「・・この様な状態で本土決戦に臨んだらどうなるか、 私は非常に心配である。 あ
         

  18. ponpoko1829

    10月25日

    45p:1945年8月9日、深夜、昭和天皇陛下の御臨席のもと御前会 議が開かれた。 ポツダム宣言の即時受託について、意見は賛否同数と なった。 8月10日午前2時、鈴木首相が、天皇陛下の前に進み出 てご聖断を仰(あお)いだ。 天皇陛下は、『ポツダム宣言
         

  19. ponpoko1829

    10月25日

    44p:「日本が戦争終結したいとの仲介」を求められて来ていることを、ソ連のスターリン から知らされていた・・にもかかわらず無視し、卑劣に も、広島に、そして、長崎へ、原爆を投下した。 . 1945年8月9日、深夜、昭和天皇陛下の御臨席のもと御前会 議が開かれた。 ポ
         

  20. ponpoko1829

    10月25日

    43p:日本政府は、当然、仲介依頼をしているソ連の返答を 待った。 原爆投下は、その様な状況の中に落とされた・・ アメリカは、ソ連から、「日本が戦争終結したいとの 仲介」を求められて来ていることを、ソ連のスターリン から知らされていた・・にもかかわらず無視し、卑劣
         

  21. ponpoko1829

    10月25日

    42p:ポツダム宣言が発表されると、鈴木貫太郎首相や主要 閣僚は、条件付きの降伏要求である事に着目し、これを 『受諾する方向となった』。 しかし、陸軍は反対し、本土決戦を主張してゆずらな かった。 日本政府は、当然、仲介依頼をしているソ連の返答を 待った。
         

  22. ponpoko1829

    10月25日

    41p:1945年6月、日本は、6月頃から戦争終結をめぐる最高指導 者会議を何度となく開いた。 日本は、対日参戦を秘密に決めた(ヤルタ密約)、そ して、その参戦の準備を進めているソ連に、そうだとは 知らず、連合国との講和の仲介を依頼していた。 ポツダム宣言が発
         

  23. ponpoko1829

    10月25日

    40p:なお・・、 「領土を変更するときは関係国の人民の意思 を尊重する」ことが決められた。 しかし、アメリカは、自分の都合が悪くなれ ば、この様な事を無視し、破るアメリカだった。 . 1945年6月、日本は、6月頃から戦争終結を
         

  24. ponpoko1829

    10月25日

    39p:故に、この後、世界の各国が参加を表明 し、遵守を誓った。 この中には、「領土の拡大意図をもって戦争 をすること」も否定され・・さらに、なお・・、 「領土を変更するときは関係国の人民の意思 を尊重する」ことが決
         

  25. ponpoko1829

    10月25日

    38p:大西洋会談において・・、 アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルー ズベルトと、イギリス首相のウィンストン・チ ャーチルによって調印された憲章で、世界構想 として述べたもので、世界各地に適用されると した、故に、この
         

  26. ponpoko1829

    10月25日

    37p:このアメリカ大統領ルーズベルトが行なった この密約の「領土に関すること」は、『領土の不拡大』 を規定し、宣言した『大西洋憲章に違反する行為』だっ た。 (参考)大西洋憲章は、1941年8月9日から8月12日に行 われた大西洋会談において・・、
         

  27. ponpoko1829

    10月25日

    36p:アメリカのルーズベルトの悪行の一つ・・、 この密談は、日本領の南樺太と千島列島、満州国の権 益(南満州鉄道や港湾などが含まれる)がソ連のものと なるという美味しい話(えさ)で誘った。 しかし、このアメリカ大統領ルーズベルトが行なった この密約の「領土に
         

  28. ponpoko1829

    10月25日

    35p:1945年2月8日、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大 統領は、ソ連のスターリンと秘密会談を行い、対日本戦 への戦いに参戦することを促した・・誘った。 そして、日ソ中立条約の『一方的破棄』をソ連に促し、 そそのかした・・アメリカのルーズベルトの悪行の
         

  29. ponpoko1829

    10月25日

    34p:1860年の10億ドルの約10倍となった。 . 1914年、アメリカの発展、1914年に、アメリカは、鉄鋼が 世界第2位で、機械工業が第4位だった。 これは、1860年には、首位部門が農業生産に関すると ころだった(農業から工業への転換) . 1945年2月8日
         

  30. ponpoko1829

    10月25日

    33p:製造工業が130億ドルになった。 これは、1860年が19億ドルで、その約7倍となった。 ☆また、1900年の賃金労働者数が530万人であり、1860年 の131万人の約4倍となった。 ☆また、1900年の投下資本額が90億ドルであり、1860年
         

  31. ponpoko1829

    10月25日

    32p:開拓線の消滅が表明された。 アメリカの開拓線が消え、この後、太平洋の国々を奪 って行く・・ハワイの悲劇など・・フィリピンの悲劇な ど・・そして、フィリピンを土台として中国へ・・ . 1900年、アメリカの発展、この年、製造工業が130億ドルに なった。
         

  32. ponpoko1829

    10月25日

    31p:また、1870年には第2位。 アメリカは、この1880年代を境に、農業国から工業国 へ転換した。 . 1880年代、アメリカの西漸運動による、アメリカ西部への 侵略行為は、この頃、太平洋岸に達した。 1890年の第11回国勢調査でその開拓線の消滅が表明さ
         

  33. ponpoko1829

    10月25日

    30p:今でも、黒人の方々を差別する行為が続いている。 KKKが復活しているニュースも報道された。 . 1880年、アメリカの工業力が、イギリスを抜いて世界一に なった。 1860年には、イギリス、フランスに次いで第3位だった。 また、1870年には第2位。
         

  34. ponpoko1829

    10月25日

    29p:アメリカは、今・現在においても、まだまだ 黒人の方々を虐げている。 その根っこには、「キリスト教による有色人種への蔑 視観と洗脳がある」。 この洗脳が、なかなか無くならずに続いている。 今でも、黒人の方々を差別する行為が続いている。 KKKが
         

  35. ponpoko1829

    10月25日

    28p:黒人の方々が奴隷の身分から解放されて、 自由を獲得しました」なんていう話は、まったくの作り 話で・・その様な状況では『まったくない』。 黒人の方々の血を吐くような戦いが、それも長い戦い があった。 そして、アメリカは、今・現在においても、まだまだ 黒
         

  36. ponpoko1829

    10月25日

    27p:1896年には、民主党が、人民党の大統領候補 者ウィリアム・ジェニングス・ブライアンを公 認した。 アメリカ北部政権が、プロパガンダ(嘘宣伝)する「 アメリカ北部政権の偉人・リンカーンが奴隷解放しまし た、それで、黒人の方々が奴隷の身分
         

  37. ponpoko1829

    10月25日

    26p:追いつめられていた小麦農家などを支持基盤とした。 農本主義と、銀行、鉄道、エリートに対する 敵意という急進的な運動形態を採った。 労働組合と連衡する場合もあれば、 1896年には、民主党が、人民党の大統領候補
         

  38. ponpoko1829

    10月25日

    25p:人民党(ピープルズ・パーティ)が結成された。 (参考)人民党:アメリカ南部(特にノースカロライ ナ州、アラバマ州、テキサス州)の貧しい白人 綿花農家や、アメリカ中西部の平原にある州( 特にカンザス州とネブラスカ州)の追いつめら
         

  39. ponpoko1829

    10月25日

    24p:州議会に訴えるようになり・・、 1874年には、約150万人の会員となった。 この様な南部の闘争と北部の労働運動が結びついて、 政治運動として発展し・・、 1891年には、既存政党に対抗して人民党(ピープル ズ・パーティ)が結成された。
         

  40. ponpoko1829

    10月25日

    23p:グレンジャーと呼ばれた。 この団体は、初めは、政治活動に参加しなか ったが、1873年の恐慌後は、積極的に政治運動 に進出した。 農民に最も身近な問題・・鉄道会社の運賃や 倉庫保管料の規制、税制改革などを州議会に
         

  41. ponpoko1829

    10月25日

    22p:農民の生活は破綻の危機にあった。 この農民の方々の不満が組織化されて行きグ レンジャー運動となった。 その初めは、農務省の一官吏が設立した「農 業保護」組織が通称グレンジであり、 この組織の会員がグレンジャーと
         

  42. ponpoko1829

    10月25日

    21p:苦しんだ農 民などの人々の運動。 (参考)グレンジャー運動:1870年代にアメリカ中西 部を中心に起った農民運動。 南北戦争後まもなく、農産物は過剰生産の結 果、価格が下落の一途をたどり、農民の生活は 破綻
         

  43. ponpoko1829

    10月25日

    20p:1870年代~1880年代初めにかけて湧き起こった・・、 そして、これを受けて人民党運動が、アメリカ全土に 展開されて行った。 (参考)緑背紙幣(グリーンバック)運動:リンカー ンが発行した緑背紙幣の価値暴落に苦しんだ農 民などの人々の
         

  44. ponpoko1829

    10月25日

    19p:弱者の方々を虐げる「アメリカ北部と南部が共同する 社会・・非人道的社会」が現出した。 しかし、この様な苦悩の中から黒人の方々は、また、 立ち上がって行った。 緑背紙幣(グリーンバック)運動やグレンジャー運動 が、1870年代~1880年代初めにかけて
         

  45. ponpoko1829

    10月25日

    18p:また、卑劣な事に、この北部資本家が、また同時に、 南部の土地所有者となり、黒人の方々から、『直接に』 搾取した。 儲かれば人権なんて関係ないという北部も南部もない アメリカだった。 弱者の方々を虐げる「アメリカ北部と南部が共同する 社会・・非人道的
         

  46. ponpoko1829

    10月25日

    17p:アメリカ北部資本家も最大限にこの動きを利用し関与した。 アメリカ北部の白人労働者の労働条件改善闘争を押し 止めることに使った。 アメリカ北部の資本家と南部プランターとの利益は一 致していた。 また、卑劣な事に、この北部資本家が、また同時に、 南
         

  47. ponpoko1829

    10月25日

    16p:南部を支配した。 そして、アメリカ北部も「おいしい搾取の汁を吸った」。 また、南部の黒人の方々を、その様な虐げた状態にし ておくことによって、アメリカ北部の労働力を低廉な状 態にしておくことが出来ることから、アメリカ北部資本 家も最大限にこの動きを利
         

  48. ponpoko1829

    10月25日

    15p:奴隷制度に変わる刈分小作制度(シェアクロッピング・シ ステム、Share cropping system)」を出現させ、黒人の 方々から利益を搾り取った・・ また、アメリカ北部の独占資本家たちも、南部のこの 様な搾取制度を最大限に利用して、南部を支配した。
         

  49. ponpoko1829

    10月25日

    14p:大ストライキを「弾圧した」。 大統領のヘイズは、「資本家側にまわって」資本家を 擁護し、労働者を弾圧した。 アメリカ南部では、復活した旧奴隷所有者が、黒人の 方々を搾取する新しいシステム=「プランテーション奴 隷制度に変わる刈分小作制度(シェアクロッピ
         

  50. ponpoko1829

    10月25日

    13p:ヘイズ大統領(第19代大統領、 任期:1877年3月4日~1881年3月4日)は・・、 南部から連邦軍を撤退させて、その揺り戻しを助長さ せた・・、 また、この年・1877年夏から、アメリカ最初のアメリ カ全土におよぶ鉄道の大ストライキを「弾圧した」。
         

  51. ponpoko1829

    10月25日

    12p:黒人の方々は、その強烈な圧力に対峙(たいじ)して 行かなければならなかった。 この支配は、非常に強靭な支配で、黒人の方々を苦し め、そして、迫った。 「奴隷制のあった時代」への、完全な揺り戻しだった。 大統領職が転がり込んだヘイズ大統領(第19代大
         

  52. ponpoko1829

    10月25日

    11p:悪い方面にばかり知恵がまわること)だった。 自分だけの勝手な理屈で、『自分さえよければ良い』 が、常に、そこにあった。 この頃、黒人の方々は、「アメリカ北部の資本家と、 南部のプランター」の『連合支配』に苦しんだ。 黒人の方々は、その強烈な圧力に
         

  53. ponpoko1829

    10月25日

    10p:14人の黒人下院議員と2人の黒人上院議員が生まれた。 . 1877年、この年の夏、アメリカ最初のアメリカ全土におよ ぶ鉄道の大ストライキが起きた(北部資本家の悪行への 抵抗) アメリカは、狡猾(こうかつ、悪賢いこと。悪い事ば かりして、悪い方面にばかり知恵がま
         

  54. ponpoko1829

    10月25日

    9p:この様なアメリカ社会が、米西戦争を起こさせた。 アメリカは、領土欲のある帝国主義国家と一層なって 行った。 . 1876年、アメリカの憲法修正が行われた。 1870年頃~1876年までの頃、ワシントンの国会には、 14人の黒人下院議員と2人の黒人上院議員が
         

  55. ponpoko1829

    10月25日

    8p:また、その他、アメリカ国内に、巨大なトラストが、 多数、作られて行った。 アメリカは、独占資本主義の世界となった。 資本家(特に、北部資本家)がやりたい放題の世界と なった。 1890年に、シャーマン反トラスト法が制定された。 この様なアメリカ
         

  56. ponpoko1829

    10月25日

    7p:1900年には、19万3000マイルとなった。 . 1873年、アメリカに経済恐慌が起きる。 アメリカで、資本の集中が進み、特定の所へ資本が集 積されて行った。 1879年、スタンダード石油が、トラストを成立させた。 また、その他、アメリカ国内に、巨大
         

  57. ponpoko1829

    10月25日

    6p:中国も、このアメリカの行為を真似して、チベットへ の鉄道をいち早く完成させた。 アメリカの鉄道網の伸長はめざましかった。 1860年には、3万マイルだった鉄道が・・、 1880年には、9万3000マイル・・、 1900年には、19万3000マイル
         

  58. ponpoko1829

    10月25日

    5p:「根強い反動のアメリカ」があった、黒人奴隷制に戻 ろうとする動きが、この後に、アメリカに始まる。 . 1869年、アメリカの大陸横断鉄道が完成した。 アメリカの・・西部へのインディアンの方々の地への 侵略行為、奪取行為に、この鉄道は大きく関係した。 中国も
         

  59. ponpoko1829

    10月25日

    4p:政府の要人を大統領が勝手に 罷免する事を禁じた『官職保有法』を制定させた。 しかし、この後、反動の時代が来て、これらの黒人の 方々の努力は、完全に崩壊し、無になって行く。 「根強い反動のアメリカ」があった、黒人奴隷制に戻 ろうとする動きが、この後に、アメ
         

  60. ponpoko1829

    10月25日

    3p:アメリカは、奴隷解放を行なう解放民局を停止させた。 . 1867年3月、アメリカの黒人の方々は、ジョンソン大統領 (第17代大統領アンドリュー・ジョンソン)と対峙し、 黒人の方々独自の『再建法』を成立させた。 また、上院の承認なしに政府の要人を大統領が勝手に
         

  61. ponpoko1829

    10月25日

    2p:『期限延長と権限拡大』を、黒人の方々は 勝ち取った。 黒人の方々の必死の闘いの勝利だった。 しかし、この後、アメリカには、『奴隷解放の反動』 の嵐が吹き荒れて、解放民局は活動を停止した。 アメリカは、奴隷解放を行なう解放民局を停止させた。 . 186
         

  62. ponpoko1829

    10月25日

    1p:(今日の言葉) . 題:アメリカの最重要の要人が、『GHQが、日本国憲法(第9条:戦争放棄等)を 作らせたのは間違いだった』と言った。 . 1865年3月、アメリカの解放民局(難民、解放民および放棄 地対策局)の『期限延長と権限拡大』を、黒人の方々は 勝ち取
         

  • 10/17(火)
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  1. ponpoko1829

    10月17日

    98p:アメリカも卑劣なリーマン・ショックを起こしたが、 安易な方針転換をした中国もそこに居た。 .. (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、 このブログを世界へ転送してください) blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
         

  2. ponpoko1829

    10月17日

    97p:金の力で、相手を従わせると安易に考えて、行なった。 アメリカも卑劣なリーマン・ショックを起こしたが、 安易な方針転換をした中国もそこに居た。 .. (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、 このブログを世界へ転送してください)
         

  3. ponpoko1829

    10月17日

    96p:この思い込みが中国の舵を、大きく回転し、向きを変 えた。 中国の錯覚は、「経済力と国力の関係を見誤った」。 小国などに、「金を渡せば、相手は黙る」と中国は思 った。 急に、自由になる金を一杯持った中国の悲しさだった。 金の力で、相手を従わ
         

  4. ponpoko1829

    10月17日

    95p:この様な状況から発した中国経済・・ 中国は、「世界一になるのも近い」と思えるようにな った。 中国が経済力で世界一になるのに「25年かかる」と言 われていたが、「あと10年しかかからない」と、中国は 思い込んだ。 この思い込みが中国の舵を、大きく回
         

  5. ponpoko1829

    10月17日

    94p:中国は、舞い上がった。 重大産業振興策、医療制度改革などを加速した。 中国の資金は、やがて、不動産取引へも流れ込んで行 った。 中国は流れに乗った・・ 北京の不動産価格も上昇して行った・・急騰と言えた・・ この様な状況から発した中国経済・・
         

  6. ponpoko1829

    10月17日

    93p:サブプライムローンをあまり保有していない中国は、 影響が、損失が、ほとんど発生しなかった。 アメリカやEUの景気落ち込みの反動で、中国の経済 は大伸長した。 中国政府も、補助金などの支援策を実施し、景気対策 を行なった。 中国は、舞い上がっ
         

  • 13時
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  1. ponpoko1829

    10月17日

    92p:世界の工場としての存在の中国は、 大回転した。 それまで、失業問題が深刻だった中国は、嘘のような 状況となった。 経営が立ち行かない企業が続出していたが、180度、変 わってしまった。 サブプライムローンをあまり保有していない中国は、 影
         

  2. ponpoko1829

    10月17日

    91p:この後遺症は、長く世界を悩ました。 中国の人民元は、対米ドルとの関係で、米ドル急落で、 資金が急激に中国に流入し、過剰になるくらいだった。 中国株価は急騰した・・生産はフル回転となった・・ 総需要が高まり・・世界の工場としての存在の中国は、 大回転し
         

  3. ponpoko1829

    10月17日

    90p:経済は冷え込んだ、消費も落ち込んだ、金融不安が蔓 延した・・ アメリカ・ドルは急落してドル安が進んだ・・ アメリカ市場の依存度の高い企業は、大きなダメージ を受けた・・ 景気後退が広がって行った・・ この後遺症は、長く世界を悩ました。 中国の人
         

  4. ponpoko1829

    10月17日

    89p:「売り抜けて」 大もうけした・・ それは誰か?・・その様な悪も居た・・、 さらに、この大ショックで、大暴落したその底で買っ た奴も大儲けした・・ 当然、事実が判明した時は、そのショックで、株価は、 世界中で大暴落した。 経済は冷え込んだ、消費
         

  5. ponpoko1829

    10月17日

    88p:損失が拡大していく中 で・・この対応で、世界中が、シッチャカメッチャカに なった。 あちこちの企業が、金融機関が大損失を出した。 この様な事が分かっていて、だから、ショックが起き ると分かっていた者・・その者だけが、「売り抜けて」 大もうけした・・
         

  6. ponpoko1829

    10月17日

    87p:嘘などが明るみに出て露見する)」、一気に値崩れ するのは当たり前だった・・ これが、リーマン・ショックだった。 厖大(ぼうだい、非常に多量)な金、あるように見え ていた金が消えてなくなった・・蒸発した。 あまりにも巨額で、不透明で、損失が拡大していく中
         

  7. ponpoko1829

    10月17日

    86p:その会社にその債券の格付け を「良く評価させた」。 良い債券だというお墨付けを付けた。 つまり、自分(アメリカ)の都合の悪い借金の肩代わ りを世界中にさせるという行為だった。 この様な悪のシステムが「ばれれば(隠していたこと や、嘘などが明るみに出
         

  8. ponpoko1829

    10月17日

    85p:表面的には 見えない様にして、状態の悪い債券がある様には見えな い様にして(健全債権ばかりの様にして)、良質な債権 に混ぜて世界中に売りさばいた。 また、卑劣なのは、アメリカは、「格付け会社」なる ものを作った・・そして、その会社にその債券の格付け を「
         

  9. ponpoko1829

    10月17日

    84p:国全体がやるような状況を作って、それで、やっ た・・ 案の定、いくら国が大きいと言っても行きつくところ の終着点に来た。 しかし、ここでも、また、卑劣な事をアメリカはした。 この様な卑劣な債権を「細切れにして」、表面的には 見えない様にして、状態の悪
         

  10. ponpoko1829

    10月17日

    83p:その住宅が値上が りして行くことで担保させようと目論んだ・・ こんな、裏付けのないタイトロープを渡る様な儲けの システムは、いつかは破綻するのは必定であったが、 これを、アメリカ大統領(ブッシュ・子)が音頭を取 って、国全体がやるような状況を作って、それ
         

  11. ponpoko1829

    10月17日

    82p:破綻した・・ 連邦破産法第11条の適用を、連邦裁判所に申請した。 このことに端を発して、続発的に世界的金融危機が発 生した。 金が借りることが出来ない年収の低い人々にまで住宅 を買わせ、バブル状態の経済の中で、その住宅が値上が りして行くことで担
         

  12. ponpoko1829

    10月17日

    81p:アメリカとオーストラリアの各地に銅像を立てよ! . 2008年9月15日、リーマン・ショック これは、アメリカが起こした卑劣な世界的経済騒動だ った。 2008年9月15日、アメリカ合衆国の投資銀行であるリー マン・ブラザーズ・ホールディングスが破綻した・・
         

  13. ponpoko1829

    10月17日

    80p:リンドバーグは、戦前、ドイツとも接触したため、ア メリカで、大バッシングを受けた。 彼の名誉が回復するのは、30年後だった・・亡くなる 直前だった。 彼は、正義を求めて、真実を書いただけだった。 これ等の事は、世界記憶遺産に登録し・・ アメリカと
         

  14. ponpoko1829

    10月17日

    79p:リンドバーグは、オーストラリア軍が、輸送機から日 本兵の捕虜を、飛行中に投げ捨てられている・・と書い てもいる(目撃した)。 本:『War Journal of Charles Lindbergh』 リンドバーグは、戦前、ドイツとも接触したため、ア メ
         

  15. ponpoko1829

    10月17日

    78p:まだ生新しい日本兵の頭蓋骨が、 飾り付けられているのを見た時だ。 ドイツは、ユダヤ人の扱いで、人間性を汚したと主張 する我々アメリカ人に、日本人の扱い方で同じようなこ とをしでかしている・・とリンドバーグは言った。 リンドバーグは、オーストラリア軍が
         

  16. ponpoko1829

    10月17日

    77p:ナチスによる集団虐 殺現場を見学した時の日記で・・、 「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ・・と書 いた。 爆撃後の穴に、日本兵の遺体が腐りかけ、その上から 残飯が投げ捨てられ、 待機室やテントに、まだ生新しい日本兵の頭蓋骨が、 飾り
         

  17. ponpoko1829

    10月17日

    76p:(アメリカ人が)文明 人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。 事実、この点に関する成績が、日本人のそれより遥か に高いという確信は持てない(日本人の方がよっぽど立 派だ)・・、 リンドバーグは、ドイツ降伏後、ナチスによる集団虐 殺
         

  18. ponpoko1829

    10月17日

    75p:乾燥 させて持ちかえる。 中には、頭蓋骨まで持ちかえる者もいた。 ☆日本兵を動物以下に取扱い、それが、大目に見られてい る。 我々は、文明のために戦っているのだと主張している が、 太平洋戦線を見れば見るほど、(アメリカ人が)文明 人を主張せ
         

  19. ponpoko1829

    10月17日

    74p:☆捕虜にしたがらない理由は、殺す楽しみもさる事ながら、 お土産を取るのが目的。 金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰り、それで、 ペン・ホルダーとか、ペーパーナイフを造る。 耳や鼻を切り取り、面白半分に見せびらかすか、乾燥 させて持ちかえる。
         

  20. ponpoko1829

    10月17日

    73p:捕虜は、殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で、軍曹 がナイフで首を切り裂く(殺す)手本を示した。 ☆ 『爆弾で、出来た穴の中に、皆、四肢バラバラの状態 の日本兵の死体を投げ込み、その後で、トラック1台分 の残飯や廃物を投げ込んだ』 ☆捕虜にしたがらない理由は、
         

  21. ponpoko1829

    10月17日

    ☆ある日本軍の野戦病院を、ある部隊が通過したら生存者 は一人もいなかった。 ☆2年以上、実戦に参加した経験がない兵が、帰国前に、 せめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、 偵察任務に誘われたが、撃つべき日本兵を見つけられず、 捕虜一人だけ得た。 捕虜は、殺
         

  22. ponpoko1829

    10月17日

    71p:☆一旦、捕虜にしても、英語が分かる者は、尋問のために 連行され、出来ない者は捕虜にされなかった。 即ち、殺された。 ☆捕虜を飛行機で運ぶ途中、機上から山中に突き落とし、 ジャップは、途中でハラキリをやっちまったと報告し た。 ☆ある日本軍の野戦病院を、ある
         

  23. ponpoko1829

    10月17日

    70p:☆将校連は、尋問の為、捕虜を欲しがる。 捕虜1名につき、シドニーへの2週間の休暇を出すと お触れが出た途端に、持て余すほどの捕虜が手に入った。 懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなった。 つかまらなかったと嘯(うそぶ)くだけだった。 ☆一旦、捕虜にして
         

  24. ponpoko1829

    10月17日

    69p:殺戮したからだった) 残りの連中には、ちょっとした出来事があった。 それを知った戦友は投降したがらないだろう。 ☆捕虜を取らないことを自慢する部隊がいた(降参した日 本兵を、捕虜にする前に殺したから) ☆将校連は、尋問の為、捕虜を欲しがる。 捕虜1
         

  25. ponpoko1829

    10月17日

    68p:手を上げて降参して日本兵が投降して来ても、皆殺し した。 その為、日本兵の捕虜が少なかった・・、 ☆あるところでは、2000人ほど捕虜にしたが、本部に引き たてられたのは、たった100人か、200人だった(それは、 日本人の捕虜のほとんどを殺戮したからだった
         

  26. ponpoko1829

    10月17日

    67p:以下、その一部の抜粋・・、 ☆各地の太平洋戦線で、日本人捕虜の数が『欧州戦線に比 して異常に少ない』のは・・、 捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、 アメリカ兵が捕虜を取りたがらないから、 手を上げて降参して日本兵が投降して来ても、皆殺し し
         

  27. ponpoko1829

    10月17日

    66p:戦死者・捕虜」について言及した。 特に、アメリカ軍の残虐行為について糾弾した。 リンドバーグは、日米開戦後、軍の技術顧問となり、 南太平洋に赴任し、そのアメリカ軍の残虐行為を目撃し た。 そして、日記に、次ぎの事柄を書き記した。 以下、その一
         

  28. ponpoko1829

    10月17日

    65p:ピュリッツァー賞を受賞した。 同書は、1957年に、ビリー・ワイルダー監督の手で映 画化されて有名になった(『翼よ! あれが巴里の灯だ』) また、リンドバークは・・、 「日本軍と、アメリカ軍(連合軍)との戦死者・捕虜」 について言及した。
         

  29. ponpoko1829

    10月17日

    64p:1931年には、北太平洋横断飛行にも成功している。 1953年に、大西洋単独無着陸飛行について書いた「The Spirit of St. Louis"(『翼よ、あれがパリの灯だ』) を出版し、 これにより、1954年のピュリッツァー賞を受賞した。
         

  30. ponpoko1829

    10月17日

    63p:議会名誉黄金勲章の受賞者である。 1927年には、「スピリット・オブ・セントルイス」と 名づけた単葉単発単座のプロペラ機で・・、 ニューヨーク~パリ間を飛び・・、 大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した。 1931年には、北太平洋横断飛行にも成功し
         

  31. ponpoko1829

    10月17日

    62p:この訴えも、リンカーンに届かず、無視されていた。 . 1902年2月4日、リンドバーグが生まれた(~1974年8月26日) チャールズ・オーガスタス・リンドバーグは、アメリ カ合衆国の飛行家で、ハーモン・トロフィー、名誉勲章、 議会名誉黄金勲章の受賞者である。
         

  32. ponpoko1829

    10月17日

    61p:私たちは、同胞の皆さんに、この事を訴えたいのです。 そして、私たちは、軍籍に身を置くことができるよう に、皆さんの法律を改めて戴くようにお願いしたいので す。 私たち黒人の胸の中に燃え上がっている愛国的感情を 思う存分に発揮できますように」・・この訴えも
         

  33. ponpoko1829

    10月17日

    60p:黒人の方々は言った・・、 「私たちは、すでに用意ができています。 白人の防衛者と同様に、私たちは、私たちの生命と財 産と名誉をかけて、自由のために良き市民として、私た ちの政府を守る覚悟ができています。 私たちは、同胞の皆さんに、この事を訴えたいの
         

  34. ponpoko1829

    10月17日

    59p:リンカーン政権は、あちこちで参戦したいという黒人 の方々を拒絶していた。 参戦の準備を黒人の方々は行っていた・・その為の軍 事訓練や軍事組織を作った。 しかし、『この様な事まで禁止するリンカーン政権』 だった。 黒人の方々は言った・・、
         

  35. ponpoko1829

    10月17日

    58p:リンカーンが、「奴隷解放をしました」そして「黒人 奴隷の方々が自由になりました」なんていう話では『無 いのです』。 黒人の方々は、この南北戦争を、「奴隷解放の戦い」 と捉(とら)えていた・・自分たちが自由になれる戦い と捉えていた。 リンカーン政
         

  36. ponpoko1829

    10月17日

    57p:アメリカは、卑劣にも、ここまでしなければ、黒人の 方々を自由の身にして差し上げられなかった。 黒人の方々は、逃亡して参戦した。 この様な逃亡奴隷の黒人の方々は、50万人も居た。 絶大なる人々である。 リンカーンが、「奴隷解放をしました」そして「黒
         

  37. ponpoko1829

    10月17日

    56p:記念碑を建立すべき・・、 そして、毎年、記念行事を開催し、この貢献をした黒 人の方々の戦士に「感謝の誠を捧げなければならない」。 この様な黒人の方々の戦功があって、やっと、黒人の 方々は、自由を獲得することができた。 アメリカは、卑劣にも、ここま
         

  38. ponpoko1829

    10月17日

    55p:アメリカ北部軍の勝利は、黒人の方々によって「もた らされた」と言える状況だった。 今・現在のアメリカ北部政権は、『黒人の方々によっ てもたらされた』と言える。 リンカーン記念堂に、この黒人の方々の戦功・働きを 顕彰する記念碑を建立すべき・・、 そし
         

  39. ponpoko1829

    10月17日

    54p:目ざましい役割を黒人の方々は果たした。 この働きは、アメリカ北部軍の勝利を、最終的なもの に導く原動力となった。 際立って重要なものが、黒人の方々のこの貢献だった。 アメリカ北部軍の勝利は、黒人の方々によって「もた らされた」と言える状況だった。
         

  40. ponpoko1829

    10月17日

    53p:南北戦争の参 戦を、リンカーンが、あまりにも卑劣に拒絶するので、 黒人の方々は、独自に部隊を作って参戦してしまった。 この様な行為をしなければ、黒人の方々は参戦できな かった。 黒人の方々の戦いは素晴らしかった。 目ざましい役割を黒人の方々は果
         

  41. ponpoko1829

    10月17日

    52p:やっと、黒人の方々は、自由を得ることが出 来た(・・いや・・この揺れ戻しが・・あります・・ま た、昔の奴隷制に戻る様な・・本当にしつこい、奴隷解 放の歴史だったのです・・遅れたアメリカだったのです) リンカーンが、渋っていた黒人の方々の南北戦争の参 戦
         

  42. ponpoko1829

    10月17日

    51p:修正案を制定させるこ とができた。 卑劣なアメリカは、黒人の方々に、この様な困難な時 間を必要としなければ、この様な悪辣な経緯を経なけれ ば・・黒人の方々を「自由の身にして差し上げる」状況 にはしなかった。 そして、やっと、黒人の方々は、自由を得
         

  43. ponpoko1829

    10月17日

    50p:この後、黒人の方々は、血みどろの戦争を2年間もの 間、耐え抜いて、戦い・・、 黒人の方々は、自由の獲得闘争をして行って・・、 やっと、1865年に至って、卑劣なアメリカ合衆国憲法 の憲法修正第13条が提出され・・修正案を制定させるこ とができた。
         

  44. ponpoko1829

    10月17日

    49p:やっと、修正された。 アメリカは、1861年1月1日になって、「奴隷解放令」 が、やっと、出たが・・しかし・・、 奴隷解放令が出たからと言って、即時に、黒人奴隷の 方々が、奴隷という卑劣な身分から解放されるという訳 ではなかった。 この後、黒人
         

  45. ponpoko1829

    10月17日

    48p:本当にアメリカは人権抑圧国家だ。 黒人の方々への同情とともに、人権をもてあそぶ人権 抑圧者・リンカーンへ怒りが湧く。 . 1865年、アメリカ合衆国憲法の「憲法修正第13条」が制定 され・・『卑劣な奴隷制度を決めていたアメリカ合衆国 憲法』が、やっと、修
         

  46. ponpoko1829

    10月17日

    47p:リンカーンは、この様な段階になっても、奴隷の「即 時、無条件、全面解放をしない」という大統領だった。 即時、全面開放をためらう大統領だった。 しかし、この様な状況の中で、黒人の方々は、残され た「わずかな解放の望み」をひたすら待ち望んだ。 本当にア
         

  47. ponpoko1829

    10月17日

    46p:つまり、反乱を「止めたっと宣言した州の奴隷は解放 されない」という宣言だった。 リンカーンは、「奴隷解放の父」とアメリカ北部の現 政権がプロパガンダしているが・・「リンカーンは、そ の様な人間ではない」。 リンカーンは、この様な段階になっても、奴隷の
         

  48. ponpoko1829

    10月17日

    45p:このリンカーンの「奴隷解放予備宣言」は、 おかしな宣言だった。 南北戦争が盛んに行われている現状において、リンカ ーンが考えていたのは、「反乱している州の奴隷を解放 する」というものだった。 つまり、反乱を「止めたっと宣言した州の奴隷は解放 され
         

  49. ponpoko1829

    10月17日

    44p:この様に、奴隷解放の足を引っ張るリンカーンの考え は、黒人の方々から「猛反発」を受けた。 これに先立つ3か月前の1862年9月22日、奴隷解放令に 先立つ「奴隷解放予備宣言」を公布するところまでこぎ つけていた。 しかし、このリンカーンの「奴隷解放予備宣
         

  50. ponpoko1829

    10月17日

    43p:リンカーンは、奴隷解放令が公布されようと している「この時点」になっても、黒人の方々を、アフ リカのどこかに植民させる(棄民する)ことが良いと考 えていた。 また、「奴隷のすべてを解放する様な事はしない」と 考えていた。 この様に、奴隷解放の足を引っ
         

  51. ponpoko1829

    10月17日

    42p:北部軍のグラント将軍に降伏した。 黒人の方々の功績は絶大だった。 アメリカ北部軍は、黒人の方々の戦いによって救われ たのだった。 . 1863年1月1日、アメリカで、やっと、奴隷解放令が公布さ れた。 しかし、リンカーンは、奴隷解放令が公布されようと
         

  52. ponpoko1829

    10月17日

    41p:ジョージア進撃の成功によって、北部軍の勝利は、 最終的な、確定的なものとなった。 1865年4月2日、南部連合の首都・リッチモンドが、北 部軍の手に落ち・・ その1週間後の1865年4月9日、南部軍のリー将軍は、ア ポマトックスにおいて、北部軍のグラ
         

  53. ponpoko1829

    10月17日

    40p:給料面でも差別された。 白人兵士の半分にもなるか、ならないかという差別状 態だった。 1863年7月のゲティスバーグの戦いと、ビックスバーグ の戦いが、北部軍勝利の転機となった。 そして、シャーマン将軍のアトランタからサバナに向 かうジョージア
         

  54. ponpoko1829

    10月17日

    39p:この戦争には、18万6000人もの黒人兵士が、正式に北 部軍の陸軍兵士として参戦していた。 13万4000人が、奴隷州からの参戦だった。 アメリカ海軍は、卑劣にも黒人の方々を拒否した。 炊事係など3万人が参加しただけだった。 給料面でも差別され
         

  55. ponpoko1829

    10月17日

    38p:虐(し いた)げを受けていた反動もあって、果敢に戦闘をした・・ その為もあって、可哀想に、黒人の方々が戦死する率 は、白人兵士より35パーセントも多く、黒人の方々は亡 くなっっていた。 戦死者数は4万人にも及んだ。 この戦争には、18万6000人
         

  56. ponpoko1829

    10月17日

    37p:第54マサチューセッツ黒人連隊の果敢な働きは凄(す さ)まじかった。 この連隊には、黒人奴隷解放運動家の大御所「フレデ リック・ダグラス」の二人の息子も加わっていた。 黒人の方々は、それまで、白人・アメリカ人の虐(し いた)げを受けていた反動もあって、果
         

  57. ponpoko1829

    10月17日

    36p:本当に、軽蔑すべきリンカーン大統領だった。 そして、この後、あらゆる反動もあって、この黒人の 方々の、目ざましい戦いが起きる・・そして、素晴らし い功績を残した。 その1例が、サウスカロライナ州のワグナー要塞の攻撃 だった。 第54マサチューセッ
         

  58. ponpoko1829

    10月17日

    35p:直接、多くの黒人奴隷の方々は馳( は)せ参じた・・ そして、戦争遂行のあらゆる部署に挺身した。 その様な事態になって、やっと、リンカーン政権は、 遅ればせながら、後追いで・・1862年7月、黒人の方々の 軍隊編入を認めた。 本当に、軽蔑すべきリン
         

  59. ponpoko1829

    10月17日

    34p:リンカーン北部軍は、『完全な劣勢』に置かれて いた。 黒人の方々は、リンカーン政府にいくら言っても埒( らち)が明かない状況に至って、北部軍の各将軍・・バ トラー将軍、シャーマン将軍、フレモンド将軍、ハンタ ー将軍などの下へ、直接、多くの黒人奴隷の方々は馳
         

  60. ponpoko1829

    10月17日

    33p:この時になっ て、やっと、南北戦争に、黒人の方々の参戦を認めた。 それまで、リンカーンは、黒人の方々の軍隊編入をた めらっていた。 リンカーンには、有色人種蔑視観があった。 しかし、リンカーンのその様な思いとは別に、南北戦 争は、リンカーン北部軍
         

  61. ponpoko1829

    10月17日

    32p:リンカーンをトップとする北部軍の首脳部は、腐敗し ていて、戦争準備がなっていなかった。 本当にアメリカを良くしようという意義が頭にあって 開戦したのか?・・疑問が生じる状況だった。 . 1862年7月、アメリカのリンカーン大統領は、この時になっ て、やっと、南
         

  62. ponpoko1829

    10月17日

    31p:南部軍の旗をワシントンの 国会議事堂に翻(ひるがえ)してみせる」という言葉が、 南部軍から出るくらいだった。 . 1861年7月、南北戦争で、アメリカ北部軍が、ブルランで敗 れ、早くも首都・ワシントンが陥落の危機にさらされた。 リンカーンをトップとする北部
         

  63. ponpoko1829

    10月17日

    30p:北部軍の軍首脳部の腐敗の影響によって、戦争準備が できていない状況で・・その準備不足で、南部軍にやら れっぱなしだった。 北部軍は、相次いで、戦いに敗れ・・、 開戦早々だというのに、「南部軍の旗をワシントンの 国会議事堂に翻(ひるがえ)してみせる」という
         

  64. ponpoko1829

    10月17日

    29p:大統領だった。 リンカーンは、南北戦争における軍へ、黒人の方々の 「参加はまっぴら」という大統領だった。 そうであるならば・・南北戦争において、白人・アメ リカ人の北部軍がしっかりしていたかと言えば、まった く腐敗していた。 北部軍の軍首脳部の腐敗
         

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  1. ponpoko1829

    10月17日

    28p:その様な心境にさせられて行った。 アメリカ北部政権が祭り上げ、プロパガンダで、「奴 隷解放の父」などと言っているが・・その称号は、返上 すべき大統領だった。 リンカーンは、南北戦争における軍へ、黒人の方々の 「参加はまっぴら」という大統領だった。
         

  2. ponpoko1829

    10月17日

    27p:奴隷制反対論者である「ニューヨーク・ トリビューン」の主幹が、リンカーンへ『公開質問状』 を出すくらいだった。 この様な事態から、リンカーンは、「奴隷解放」の布 告を出さざるを得ない、出す事を余儀なくされて行った。 その様な心境にさせられて行った。
         

  3. ponpoko1829

    10月17日

    26p:インディアンの子供や老人、婦女子の方々に死者が 大勢出た) また、移動しないインディアンに対して、酷い討伐を 命じた・・殺戮・全滅を是認する「討伐を指示」を出し たりするリンカーンだった。 1862年8月22日、奴隷制反対論者である「ニューヨーク・ ト
         

  4. ponpoko1829

    10月17日

    25p:弁護士時代には、インディアンの方々の土地の取 り上げや、法的闘争に奔走していた。 また、大統領になれば、死者が莫大に出るという厳寒 期の長距離のインディアン居留地の移動を命じたり・・ (インディアンの子供や老人、婦女子の方々に死者が 大勢出た)
         

  5. ponpoko1829

    10月17日

    24p:奴隷制度廃止論者のダグラスとリンカーンの論争・・、 リンカーンの心の中には、キリスト教に影響された「 有色人種蔑視観」があった。 リンカーンは、子供の時に、目の前でアメリカ・イン ディアンにおじいさんが殺された。 その事で、弁護士時代には、インディ
         

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