10:43:12 デザイン領域は拡張していると言われるが、機械などの人工物のデザインと、生ある世界を扱うために私自身が対象に内包されている社会的なデザインはシームレスに繋がっているわけでなく、物理学と生物学くらい違う。今は新しい方法論を開拓する時期。って昨夜の須永剛司先生とのトークショーで話した。
10:55:56 須永剛司先生の著書『デザインの知恵』の言葉で最も心に響いたのが「自己を対象のなかに置く・知」。デザインする主体と対象を分離せず、私自身がデザインする対象の中に埋め込まれていると認識することで、行為と思考が一体化した「やって・みて・わかる」という知が立ち現れる。自己言及型の創造知。
11:03:27 「私」を主語にするのは個人の自己表現だと捉えられがちで、都市計画や大きな市場を扱うビジネスでは「私」を主語を避けてプロジェクトを説明するのが流儀であるのは理解できるが、それを発想プロセスの源から行うとすっぽり「私」が抜けた、与えられた問いへの「正解」しか並ばなくなるのではないか。
11:13:05 あえて発想段階では「私」を鍛えるために、小学生みたいな文体で自分の体験を作文して、人前で朗読し図表化し体験を分析をしてみる。これが須永剛司先生の「自分作文」。自己が対象のなかに埋め込まれいる社会的なデザインの最初のステップ。これを省察と表現の往復運動へ繋げていくのがデザインの知。
11:18:27 昨日の須永先生と塩瀬隆之先生とのトークはとても気づきの多いものでした。須永先生の『デザインの知恵』(フィルムアート社)も、本の隅々までぎっしり詰まった先生の長いキャリアでのなかの大切な気づきが、私たちの気づきを呼び起こしてくれる力をもった本です。
11:40:09 第一人称“I”が常に文章中にある言葉を使う人たちは、自分のプロジェクトの価値や文脈を説明するにあたって、どんなに客観的な説明をしてもそこにどうしても「私」が現れる。が、主語としての「私」が消失した文章を喋る日本語民は発想段階で「私」抜きをやるとすっからかんなものを生み出しかねない。