00:06:04 十九歳のとき、ぼくは初めて詩集を出した。そのあとがきに「偉大な政治家にならなくともよいし、偉大なスポーツマンにならなくともよい。ただ、偉大な質問者になりたい」と書いた。 その頃、私にとって人生はまだ始まったばかりだったので、多くの未知のものが横たわっていたのである。
02:06:04 もうすぐ春がくる 女中は暇をとる 下男も暇をとる それでも あたしは 夢の中
04:06:05 まなざしの おちゆく彼方ひらひらと 蝶になりゆく 母のまぼろし てのひらに 百遍母の名を書かば 生くる卒塔婆の 手とならむかな
06:06:03 少年の日に 暗い納屋の藁束の上で わたしの愛からかくれていった ひとりの少女を 見出せないままで 一年たちました 二年たちました 三年たちました 四年たちました 五年たちました 六年たちました 七年たちました 八年たちました 九年たちました わたしは一生かかってかくれんぼの鬼です
08:06:23 ぼくがものを言うと、他人がそれを持つ。すこし言いすぎると「重たい」と言う。他人とぼくとの負担すべき荷物の定量は、いつも相対的なので、他人が重たさを感じるときにはぼくは軽くなっているという訳だ。
10:06:24 幻影を持たない奴は、いつかは消えていってしまうんだ。
12:06:20 かつて「空想から科学へ」といわれ、いま「科学から空想へ」といいなおされてゆこうとしているとき、私はエロスと偶然性といったことの力学的な交差の中に一つの幸運論の糸口を見出す。
14:06:24 夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲(す)む
16:06:21 春の水を祖国とよびて新しき血にさめてゆく日をわれも持つ
18:06:21 海 い に な で ち ん み す ば げ だ ん ん は 小 の さ つ な く る こ と の で き る
20:06:24 読書するまに少年老いて草雲雀(くさひばり) (草雲雀・クサヒバリ科のコオロギ)
22:06:23 嘘よ、臆病なのよ。世界を見るのがこわいのよ。いつもドアをそっとあけてそのすきまからしか人生を覗き見できない自分が、みじめじゃない?