00:00:22 ふつうに栽培する場合は、お米よりヒエのほうが強いといわれますが、こういうかたちだと、お米のほうがはるかに茎が硬くて強いんです。
00:30:19 耕さなければ、地面から、亡骸の層から、必要な糧を吸い上げる。そして山から流れてくるきれいな水の恵みを受けて育つ。あるいは太陽の恵みをいっぱいに受けて、あるいは空気中からいろんなものを取り集めてこれだけのものを増やしたんですね。
01:00:21 環境問題は、環境に問題があるのではなく、私たち人間一人ひとりの内なるところに問題があるのであって、根本解決はここを問い直すこと、との悟りから取り組まれているものであります。
01:30:19 既存のシステムを転覆し、変えるという話ではない。意識の幅を広げる作業である。これが僕にとっての「新しい経済(共同体の在り方)」である。--坂口恭平
02:00:22 すべての生命の始まりはひよわなんだ。本当の始まりはひよわでいんだ。
02:30:19 自分の人生は自分の納得のする生き方をしないと取り返しがつかないという思いは不動になっていました。
03:30:19 人間の勝手な願いで特別なものを用意したらだめなんですね。異常なんですよ、その場もそこで育ったものも。そしてそれを用意するのに大変な努力を投入し、エネルギーを投入し。それだけでも大変ですよ。そんな事は愚かな事です。
04:00:23 変に懺悔をしてしまったら懺悔で終わってしまう。そういう可能性がありますね。甘くなりますね。
04:30:19 愛する人たちといつまでもいっしょにいられるわけではないし、どんなすばらしいことも過ぎ去ってしまう。どんな深い悲しみも、時間がたつと同じようには悲しくない。そういうことの美しさをぐっと字に焼きつけたい。 ---吉本ばなな
05:00:21 「土づくり、土づくり」と土にとらわれてしまっている人がいます。けれど、植物にとって土は決して大事ではないということに気づきました。
05:30:19 生命に、あるいは自然に任せるということには違いないのですが、栽培しているということを忘れたらいけないと思いました。
06:00:22 流れる川を見つめながら、生きねばなりません。 ---「ムーンライト・シャドウ」吉本ばなな
06:30:19 家族が五人でお米も徐々に自足するのには、だいたい一反半、五百坪、一反から二反あれば充分じゃないでしょうか。三百坪から五百坪。お米に野菜、果物。もう五、六百坪あれば花を植えるとか、いろんなことができるんじゃないですか。
07:00:21 あなたの夢は何か、あなたが目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう。速度を上げるばかりが、人生ではない。--マハトマ・ガンジー
07:30:19 「草は邪魔」だとして抜き去り、よそへ捨てるとだめです。「虫は敵」と殺して田畑にいないようにさせるのもだめです。田畑にある生命はすべて田畑でめぐらせ、田畑に還してやります。
08:00:25 現行農業で十俵とっていたのが、七俵から八俵としたら二割から三割少ないでしょう。でもお米のいのちは減っていないと思います。
08:30:19 この果てしない宇宙空間も、流れる時間も、すべてをあらしめる大いなる生命の営みもゆえあってのことであり、そうなっているからそうなるのですね。そうしかならないのですね。
09:00:22 これも受け止めようと、そういう気持ちが定まったらずいぶん楽になって。仕方なく続けている、やめたいやめたいと逃げ腰になっているときはものすごく辛かったですね。
09:30:19 農業というのは、分業で、特殊な地域で少数の者がやるべきというんじゃなくて、すべての人間が、自分の生命の糧を自分で作って、自分が生きているということをかみしめて、日々生きていくというのが本来。 ---福岡正信
10:00:25 この足下の亡骸の層で生命活動をしているところで地上でも生命活動をしてるんだということに気づかされてきて、もう何ともいえない豊かな感じといいますか、満たされる感じ、ああここで生命が約束されてるんだな、自然界がそうなってるんだということをそこで改めて再認識しました。
10:30:19 よそに持ち出さず、そして他から何も持ち込まずが原則です。持ち出されれば不足して田畑は病み、持ち込まれれば過ぎて病みます。
11:00:22 終わり無く、始め無く、無始無終の生命の巡りのなかでのこの私であり、総ての生命なんだと。
11:30:19 ガンウィルスは人間を困らせるために生命あるのではありません。存在するにかなったから存在したのです。生かされるままにいきているのです。
12:00:25 この道には心があるか?もしあればその道はいいものだし、なければ何にもならん。その道は両方ともどこへも導いてはくれんが、一方には心があり、もう一方にはない。それに従い、それとひとつになれば楽しい旅ができるんだ。もうひとつの道は、自分の生活を呪うようにしちまうだろう。---ドン・ファン
12:30:19 今生きている夏草も一生を終えてその上に倒れて積み重なっていく、そして次の生命がそこを舞台にして始まる。それもまた半年の生命ですが、またこの上に次々と重なって亡骸の層ができる。これが田圃一面に広がっているんですね。
13:00:22 ほとほと困る場合もありますが、その時に僕は育てられているのです。そこで僕が断ち切ってしまったら、僕は育ち学ぶ機会を自ら絶ってしまうことになります。
13:30:20 おおいなる自然界、生命界は対を絶し、別を絶したすべてが一体の存在にして、同時にすべては個々個々別々、相対する存在なんですね。このことは二つのことではなくてひとつのことなんです。
14:00:25 自分の人生は自分の納得のする生き方をしないと取り返しがつかないという思いは不動になっていました。
14:30:19 怒りは酸のようなもので、注ぐものにも増して、その器に大きな害を与える。--マハトマ・ガンジー
15:00:22 生ききる覚悟が要りますね。起こる問題は問題として、何が起こっても対処するんだと腰を据える。
15:30:19 自然農法、福岡農法という形があると思っているからうまくいかないんだと思います。行う人それぞれの農法、その土地その土地の農法があるのです。
16:00:25 目的は栽培ですね。
16:30:19 自然の理に添っていることでも、指図したら支配されているように思うんですね、聞こえるんですよ。ですからそれぞれにまかせきること、それを基本にしています。それでその子の命が順を追って、その子のペースで身につけ、育っていくのではないですかね。
17:30:19 田圃のなかにいつも同じく差があるように思ってたけども、半年刻みで交替してるんだなということに気づいたんです。
18:00:25 何の野心もなく終わりに向かって歩く。 「音楽」https://goo.gl/Ww9wd1" target="_blank" rel="nofollow">goo.gl/Ww9wd1 ---早川義夫
18:30:19 私が育てる大切なジャガイモとテントウムシと私の生命は、絶対界に立てば別がなくて、それでいてそれぞれ別々ですから、私は私の生命を生ききったらいいのです。
19:00:22 西洋の考え方と東洋の考え方の大きな違いのひとつは、自然や病気を人間と対立するものと考えるかどうかだと思います。
19:30:19 生命あるものはみな、他の生命を食べないと生きていけないのです。これは「残酷」ということではなくて、「生きている」ということです。
20:00:25 秋の終わり、冬の初めから始まって、夏の初め、六月ごろに一生を終わるのを冬の草といってるんです。麦もその季節のもので、冬の草だというふうにぼくはいってます。
20:30:19 東洋医学は、病気を敵対するものとはせず、病気と呼ばれるものは、身体が正常な営みを取り戻そうとする結果であると考えます。
21:00:22 敵じゃなかったんですね、草は敵だとおもってましたけども。
21:30:20 他に求めてどこかにあずけても解決しない。結局は自分の問題だということは知っていたんです。安易なところに身を置かないで、困難な方を選ぶ。
22:00:25 コメができる条件をつくることしか人間にはできない。「百姓はコメを作らず、田を作る。」---山下惣一
22:30:20 田圃に来たら、作業を進めなくても、あるいはお米が育たなくても、癒されるというかね。たくさんの生命がありますので。食糧の確保とともに心身も癒される。
23:00:22 野に立てば、あるいは自然界に立っていのちあるお米を育むという、そういう生活をしたらば、もうみんな仲間なんですよね。勝手にそうなります。
23:30:19 たくさんの量を、たくさんの収入を、という農業でしょう。