00:00:20 ※G_Bataille_jpはボットです。バタイユの主要著作から抜粋した言葉をランダムに呟きます。一部字数の関係上要約した部分もあります。呟く言葉については随時更新していきます。
00:00:53 E_Levinas_jp 私と君とでは、私の言う〈未知のもの〉、つまり〈知〉にとっての「不可能なもの」に直面するという思考の根本的条件を共有しているね?
01:00:51 頃合を見計らって、グラネロは進み出た。牛の注意をケープに引き寄せながら、彼は獣の憤りを弄んだ。説教的な声援のうちに、若者は怪物をケープの中で一回転させるのだった。獣が突撃の構えで彼の方に身を起こすたびに、指一本の差で彼はその恐ろしい衝突をかわすのだった。『眼球譚』
02:00:52 肝要なのは可能事の極限である。神自身がもはや知ることが出来ず、絶望し、殺戮するようなあの極限である。『内的体験』
04:00:53 精神が己自身から顔を背け、いわば背を向けて、その頑固さの中で自己の真実の戯画となるのは、私の目にはさほど驚くべきことでもない。たとえ人間が嘘を必要とするにしても、要するに、それは人間の勝手というものであろう!多分自尊心のある人間も、人間の集団には溺れるのだ。『エロティシズム』
05:00:52 先史学が旧石器時代後期と名づける時代の、初期ではないにしても前半期のものと推定されるラスコー洞窟は、完成された人類というものの始原に位置することになる。「ラスコー人」に対してこそ私達は初めて、芸術作品を作り出した以上、この人々は私達によく似た人間だと言い切ることができるのである。
06:00:52 私はもう嫌だ。私は呻く。これ以上私の牢獄には耐えられない。語りながら 私の心は苦い。私の喉を占める言葉また言葉、向こうへ行ってくれ、放してくれ。私が渇望するのは別のことなのだ。私は死を希っている、こんな言葉の覇権を 認めることを希ってはいない。この、恐怖もない 鎖の繋がりなどは。
07:00:52 「君たちは、私の体にあたって暖をとろうというのか。忠告しておく、あまり近づいてはならない。さもないと手に火傷をしてしまうぞ。なぜって、見たまえ、私は、あまりに熱く燃えているのだから。全くやっとのことで、自分の炎が体の外に噴き出ないようにしているのだ。」(ニーチェ)
08:00:56 この卑俗な(超キリスト教的な)見方において神の本質は、「賭けの中にあること」、「自らを賭けの中に投じること」である。結局、人間だけが残ることになる。これは、滑稽な表現を用いれば、一般化した受肉[=神が、人類各人の中に現れること]ということになる。『好運への意志』
09:00:54 何を書こうが私は失敗する。私は意味の明確さと諸々の可能事の限りない-狂気じみた-富とを結合しなければならないからだ。このダナイデスの仕事に私は無理強いされている。しかも陽気に?そうかもしれぬ。私は今後、可能事の極限に釘付けされたものとしてしか、私の生を考えることはできないからだ。
10:00:56 私の思考は、根本的に「思考それ自身に対する絶えざる反抗」である。-非-知と反抗-
11:00:55 対象は「禁止」であり、聖なるものであって、この対象を欲望の的たらしめるのは、他ならぬ対象の上にのしかかっている禁止なのだ。聖なる人肉嗜食は、欲望を作り出す禁止の基本的な例であろう。禁止が肉に風味を添えるのではないが、「敬虔な」人肉嗜食者が肉を食うのは、ひとえに禁止の為だ。
12:00:21 ※G_Bataille_jpはボットです。バタイユの主要著作から抜粋した言葉をランダムに呟きます。一部字数の関係上要約した部分もあります。呟く言葉については随時更新していきます。
12:00:57 四裂きにされ精液で溢れた陰門から男根は後退することなく、腰も砕けんばかりに、私達をお互いに引き裂いた絶頂感の激しさは、牡牛のそれにも引けを取らなかった。『眼球譚』
13:00:55 想像に反して、色彩と鮮明さに欠けた、ただ太陽で射てつけられ、炸裂する輝きを帯びた空の下で、そして時として、それは現実のものとは思えぬ様相を呈しだす。けだし光線の炸裂と、熱気の集中は官能の解放を、紛れもなく肉体の柔らかい湿りを連想させるからだ。『眼球譚』
14:00:56 誰一人として、断末魔の父の苦悩を構いつけなかった。しかし、今もやはり、私は信じている、私は信じている、彼は敢然と立ち向かっていたのだ。親父の盲た (めしいた)微笑のなかには、ときどき、なんという《悲壮な誇り》が!『眼球譚』
15:00:54 一瞬、幸福感は私を酔わせ、泥酔させる。私は咽喉いっぱいに幸福を叫び、歌う。白痴の私の心の中で、愚かさが歌うのだ、咽喉を大きくあけて。 「おれの勝ちだ!」 『青空』
16:00:56 評論『低俗唯物論とグノーシス派』で公表した石は、グノーシスの石、バジリットの石、或いは〈アブラクサス〉という伝統的な名称で知られている。それらの判定や命名は、このアブラクサスという名を起源としており、それはグノーシス主義者バジレイデスにまつわる伝説や神話に見られるものである。
17:00:54 我々は交流しようとする。しかし、私たちの間のどんな交流(コミュニケーション)も、ある根本的な差異を除き去ることは不可能であろう。あなたが死ぬとしても、死ぬのは私ではないのだ。私たちは、あなたも私も、非連続の存在なのである。