00:00:21 ※G_Bataille_jpはボットです。バタイユの主要著作から抜粋した言葉をランダムに呟きます。一部字数の関係上要約した部分もあります。呟く言葉については随時更新していきます。
00:00:53 個人と集団の対立が、或いは善と悪の対立が表す高次の困難、そして一般的に言って、通常我々が否定することによってのみ脱している途方もない矛盾、こういった困難や矛盾を思いのまま克服しうるのは、ただ好運の一撃-賭けの大胆さの中で与えられた一撃-だけだと私には思えた。『好運への意志』
01:00:52 生殖は死に緊密に結びついている。いずれも魅惑的なものであり、その魅惑によってエロティシズムを支配しているところの、存在の連続性と死とが同じものであると言うことを示すには、存在の生殖と死について語るべきであろう。
02:00:53 一体誰が好運を賭けずして、好運を見ることができるというのか。私の文章を読んでくれている君、君が誰であろうと構わない。君の好運を賭けたまえ。私がしているように慌てずに賭けるのだ。今これを書いている瞬間に私が君を賭けているのと同様に君も賭けるのだ。
03:00:52 生殖する存在は、互いに他のものであり、生まれてきた存在は、彼らが彼らを生み出した存在とは別のものであるように、彼らたちの間でも互いに別のものである。
04:00:53 私はハイデッガーの立てたあの問い[=なぜ存在があって、無があるのではないのか?]の前に立たされる。私としては、この問いは不充分だとずっと前から考えていたので、もう一つ違う形で、問いを発してみようとした。つまり、なぜ私の知っていることがあるのか?という問いである。
05:00:51 太陽怪獣の死は円滑に完うされた。万雷の拍手が鳴り止まない内に、生贄は、酔っ払いのようにふらつきながら、ひざまずき、やがて脚を空方に投げ出し、ぶっ倒れ、息絶えた。『眼球譚』
06:00:52 私が(絶対知を「真似て」)自身の中にヘーゲルの循環的運動を達成すると、私は、到達された限界線を超えて、もはや未知のものではなく、認識不能のものを定義することになる。理性の非充足性という事実から生ずる認識不能のものではなくて、そもそもその本質からして認識不能のものをだ。『内的体験』
07:00:52 核実験の規模は、想像力を動顛させるが、その悲劇的な効果は、確実なものであるだけ感性的な表象には無縁なものだ。-広島の人々の物語-
08:00:56 1922年5月7日、マドリードの闘牛場ではラ・ローザ、ラ・ラランダ、そしてグラネロの闘牛が行われるはずだった。メキシコ人ベルモンテ、ラランダ、そしてグラネロが当時スペインの最も偉大な闘牛士だった。一般には、グラネロが最優秀とされていた。『眼球譚』
09:00:54 世界史の流れにおける二つの決定的事件。一つは道具(或いは労働)の誕生、もう一つは芸術(或いは遊び)の誕生だ。道具の方は、もはや動物ではないが、まだ完全には現行の人間ではない者、ホモ・ファーベルの手に成るものである。芸術の方は、現在の人間と共に、ホモ・サピエンスと共に始まった。
10:00:56 …グラスいっぱいのジンの中に 祝祭の夜 星屑は天から墜ちる 私はゆっくりと味わいつつ電火を容れて 私は爆発的な大笑いをするだろう 『有罪者』
11:00:55 一切は戯れであり、存在は戯れであり、宇宙は戯れである。神という観念は出来が悪く、その上耐え難い、というのも当初は時間の外にあって、戯れでしかありえなかったのに、人間の思考によって、戯れとは正反対の創造とそれに伴い一切のものに結び付けられてしまったのだから。-非-知と反抗-
12:00:57 [超キリスト教的な]世界観に従えば、神から離れ、落ち来たるものは、もはや人間ではない。神自身(或いは全体性と言っても良い)だ。この見方において神は、神概念と同程度のものを内包している。いやむしろより多くを内包している。ただしこの「より多く」は神そのものである故に自分を無化する。
13:00:54 私は、娘がドレスを脱ぐようにして思考する。思考は、その運動の極点では破廉恥であり、猥褻そのものである。
14:00:57 聖堂は死骸のように横たわる…。
16:00:56 こんなことで決して挫折させられはしない。今に見給え。再び我々の意志は結集され、熱情のボイラーは爆発するだろう!(ナチス軍がパリに殺到する数日前に岡本太郎に言い放った言葉)
17:00:55 何を書こうが私は失敗する。私は意味の明確さと諸々の可能事の限りない-狂気じみた-富とを結合しなければならないからだ。このダナイデスの仕事に私は無理強いされている。しかも陽気に?そうかもしれぬ。私は今後、可能事の極限に釘付けされたものとしてしか、私の生を考えることはできないからだ。
18:00:15 ※G_Bataille_jpはボットです。バタイユの主要著作から抜粋した言葉をランダムに呟きます。一部字数の関係上要約した部分もあります。呟く言葉については随時更新していきます。
18:00:56 恐慌状態(叙述の領域でのもの)と無頓着状態(行為決定の領域では実用的に全面的であり、感性の領域では現実的であるもの)との平行線は、十年前とほとんど同じである。原子爆弾が引き起こし得る諸結果が、大げさに誇張されはしなかったろうか。-広島の人々の物語-
19:00:54 「人間生存する以前に太陽が既にあった」とか、「当然ながら太陽は世界より先には存在しなかった」とか、私(とメルロ=ポンティ氏)には、どうしてそういうことが言えるのかが分からない。この命題では、太陽はあったけれども人間はいない、つまり主題はあっても対象がないのだ。
20:00:56 この私そのものが戦い(Bataille)である。
21:00:54 書くことは無力だ。私には娼婦の素顔と裸の体がないために、人間生活はそれ自体がうわべであり、放蕩によって初めて真の姿に返されるということを、十分に下品に語ることができない。
22:00:56 反抗の本質的課題は、奴隷の拘束から人間を開放することだ。-非-知と反抗-
23:00:54 一般に犠牲の行為とは、生と死とを一致させること、死に生の迸出を与えること。生に死の重みと眩暈と抜け道とを与えることであるそれは死と混り合った生であるが、しかし犠牲においては同時に、死は生のしるしであり、無限への抜け道なのである。 『エロティシズム』