10:31:24 きた ノ
11:01:54 魔女きどりの女がベッドの上で自分の眼球を順にナイフで抉り出したが右目が想像以上に痛かったのか左目は半分程しか抉られておらずやはり狂気も恐怖には負けるのかという夢
11:51:07 丹生谷氏の『リアル』評だ http://www.youtube.com/watch?v=miEVnAOEXps" target="_blank" rel="nofollow">youtube.com/watch?v=miEVnA…
11:57:01 坂本龍一の楽壇デビュー作『分散・境界・砂』はロマン派から印象派,4度音程によるバルトーク風単旋律から民謡,無調,総音列主義,内部奏法から高橋悠治風ミュート奏法,ダダ的パフォーマンスといった音楽史の断片をパッチワークのように高速で鏤めつつ奏者が「作者とは誰」と呟いて終わる佐村河内系
12:47:17 固有名「谷川高子」が『日本春歌考』から取られているならば名付けた父は大島渚だな……〈幻影〉を否定する会社社長は(のちの映画制作で)黒沢を否定した伊丹十三ということかしら.黒沢の戦後日本映画ベストの作品でもあるがところでこのページ凄いな http://www001.upp.so-net.ne.jp/tsuribe/shunka/" target="_blank" rel="nofollow">www001.upp.so-net.ne.jp/tsuribe/shunka/
12:59:49 監督の内面を忖度しても仕方がないが,『スウィートホーム』の次作『もだえ苦しむ活字中毒者』が痛ましい裁判を想起させる物語でありつつ原作にある敵=編集長の名が「いたみ」を彷彿させるものに変更されていたり,95年請求棄却の判決後に「復讐」シリーズが連続で撮られ始めるといった露骨さはある
13:29:23 @marano はい http://cache.gyazo.com/8636c98c8854d7e472b366b43d60042e.png" target="_blank" rel="nofollow">cache.gyazo.com/8636c98c8854d7…
15:35:16 自分の弱さに無自覚な者は他人の弱さにも無自覚であるとか他人への批判がすべて自身にも当てはまるとかいったものは投影性同一視の線で語らずとも日々目にするありふれた指摘ですが,それだけ人々が鏡像的な関係の多様なバージョンに常に包囲されているということでもあり,それを戒める言説もまた……
16:06:22 自己省察か何かのきっかけで自らの欺瞞的な欠点に気がついたとして,そうした洞察が他への端的な戒めとして理性的に出力されるときの盲目的な攻撃性……その人が自信に溢れて見えるとすれば,他ならぬ自身が戒められる当人=準拠点としてリアリティを持ちうることを初めから確証されているからだろうな
16:23:36 「正しさ」の確信においてこの戒めは他者の精神に確実に達すると思われる利器であり,発見者の手柄であり,お前もまた俺に「すぎない」という驕りでありそれへの苛立ちでもある.驕りにはすでに攻撃性があるわけだが,さらに自分でもあるはずの他者がいまだ無自覚であることへの不安・苛立ちもいや増す
16:29:12 自己の恒常性維持という利潤を理性の否定性から得るということ……理性原理に身を委ねることで戒めは葛藤を緩和する.矛先は他に向けられた,この如何ともし難い否定性はようやく存分に発揮されてよい.勿論これは自身への戒めでもあるなどと殊勝に付け加えてみせる抜かりのなさも誠実さのアリバイでは
18:57:24 猫の立会い火葬でわざわざ渡されたパンフレットの説明図が身も蓋もない現実を突きつけてくる http://cache.gyazo.com/16ab7e74a69b7a5541df11d352a83e94.png" target="_blank" rel="nofollow">cache.gyazo.com/16ab7e74a69b7a…
19:05:56 「計測」を可能にする装置としての側面……観客・聴取者側の「time and space」の認知科学的な計測,故障の原因にもなりうる再生機器のリミットの計測,『op.』の制作過程における演奏者の「揺れ」の計測,投影の焦点が合う限界点まで縮小された数字の一辺におけるテクノロジーの計測
19:13:00 無響室は「無音の不可能性」における知覚の計測装置である点では池田亮司のフォーミュラのようでもある.無音や特殊な信号・ノイズをはじめ何らかの過剰によって,たとえば演算処理の限界において間接的に露呈するものが計測結果であり崇高=体験である,というようなサディズム的な構造は一貫している
19:21:35 無理に言えば池田にとっての「直線の迷宮」とは(奇妙だが)サディストの「不在の理念」のようなものなのかもしれない.つまり経験的な二義的自然の否定・破壊の加速的・累積的反復によりそれを超える本義的自然=純粋否定に迫る論証的思考の過程,来るべき新世界のための条件を求めるアナキズムの欲望
19:32:55 浅田彰は前から池田の作品は中学生的だからこそ良しと正しく言っていた,テーマより本の厚みが何センチとかから決まるといった池田の健全な発言もある.でも批評が単にそこまで還元して終わるだけではな.肯定も否定も同じ還元論的レヴューや体験至上主義的言説が猖獗を極める現状にたやすく裨益しうる
19:39:07 これは池田の「戦略」に対する浅田の批判として,観客が思考の余裕もなくただ圧倒されることや逆に崇高からアトラクション的滑稽へ転化することなどを危惧する見解にも反する.たしかに『spectra』は「地上から天空をスキャンしてるみたいでかっこいいぜ」から始まってるのかもしれないけれども
19:43:31 テクノミニマリズムの形式的純粋性(格好良さ)ヘの還元を評価する浅田にあってみれば,『formula』『C4I』以後のダムタイプ的なアクチュアルな素材を含む展開が不要であることは分かる.ナチ党党大会シュペーアの光の列柱と『spectra』における美とポピュリズムの共通点も危険すぎる
19:50:30 だがそうしたゲームを自覚的に続けるなかでの危険なエクスタシーにこそ池田亮司の作品の魅力があるのだと浅田が擁護するとき,中学生的な健全性と危険性がその探求の自覚と徹底性,「計測」の沈着性とともに語られている.推移する照準点は極めて理性的な臨死体験ヘの定位ともいうべきものを示していた
22:21:51 http://www.youtubemultiplier.com/52eeb135990b4-ryoji-ikeda-op-1-prototype-for-9-strings.php" target="_blank" rel="nofollow">youtubemultiplier.com/52eeb135990b4-…
22:34:48 「音響の美学的聴取」というプログラムは結果的にはフィールド録音にまで至る音の馴致プロセスを促進させながら,フレンチエレクトロなども含めたサプリメンタリーな音色消費やポップスのマスタリングにおける嗜癖的な音圧主義に代表されるある種の消費形態の全面化の流れに転用されたかのようでもある
23:24:14 キーワードを感覚的に繫ぐポエムレヴューの散布が一方にあり,再生環境の変化にともなう一音の「生理」的な好悪が即座に価値をジャッジできる本質的なものであるような態度と結託する.もはや批評の余地すらなく,角田俊也がある種の消費を拒絶するためにあえて凡庸な音に向かい始めることにもなる……