08:13:37 相双地区での妊婦や乳幼児、少しずつだが増えてきている。昨日は170人(弱が来訪した。水が欲しいとみな口にするが、飲料水が確保できず配れない。僕は大人も子供もカバーできるほどの力はない、優先するなら、社会的弱者。赤ちゃんや障碍者など。マナーの悪い大人もいるが、ぐっと堪えることもある
08:17:01 なぜなら、大人を対象に活動しているわけではないから。かと言って、勝手に括るつもりもない、目の前に困っている人がいて、たまたまニーズに応えられる人がいて、できることをすればいいだけのこと、それだけだ。昨日も小高に帰ったが、何もしたくはない。現状では何もできないのだ。
08:22:38 家は小高区西部地区。津波の被害はない、線量はやや高め、1.0μSv/h前後。泥かきや瓦礫撤去などの作業はない。草刈り、死骸の処理、腐敗した家財の処理、室内の細かく丁寧な清掃など、細かい作業が多い。水、電気、ガス、トイレがない。34号線で交錯した車は、2時間で2台だけだ。
08:26:19 若い人が小高に住むということ。本当に真面目に真剣に考えている人間がいったいどれだけいるのだろう?安心安全は誰がどの目線で担保するんだ?誰が帰って誰が帰らないのか、住民が一番よく分かっている。それはそれで仕方ないというなら、それを踏まえた上できちんと真実を伝えるべきなのだろう。
08:30:07 今でも言われる。小高だからお金が貰えて良かったね、と。なら、僕はお金などいらない。そんなことを望んではいない。原発がなければ良かったと思う要因のひとつに、目に見えない経済、意識格差が進んでしまっていること。妬みや僻み、軋轢や差別、目に見えない被害だけに気づけない、気づきにくい。
08:42:46 これから鹿島区橲原へ行ってきます。山間の地区は高齢世帯が多く、また線量による被害が可視化できず、実態の把握が難しい。かと言って、それを理由に蔑ろにしてはいけないこともある。
08:49:23 いくらデータを開示しても信用してもらえない。なぜ信用してもらえないのか?信用とは何だ?接客サービス業を経験したなかで言えることのひとつに、「継続性」が挙げられる。初志貫徹で続けるしかない。相手が挨拶を交わさなかったら、交わすまで続ける。根気と誠意の可否にかかってくる。
08:52:34 いま必要なものは、乳幼児、妊婦が主な対象となる水、それとこどもの室内遊技場に使うフロアマット、あとは遊具とお母さん方の憩いの場所の設置に必要なもの、か。去年の
11:11:51 橲原に来て良かった。どう想うか感じるかより、それを考えたり触れる機会があること自体がありがたいのだと思い知る。毎回美味しい手作りの品々をご馳走してくださる。僕らの世代が忘れつつあるものを心身で味わう。これは震災なんてものがなくとも、必要なこと。自然で当たり前な振る舞いに敬意と感謝
11:21:30 昨日妊婦や乳幼児世帯の方々と話した時に、みなハガキを持参して来訪するのだが、そのハガキの文字を見て自分が何者かを知る、そんな感覚に陥った。丁寧に書いて良かった、親の躾の賜物だけど。布団たたきで叩かれたのもいい思い出。おかげで打たれ強くなった。痛みなしに強くなどなれない、体も心も。
11:26:11 健常児、震災孤児、障害児、偏るのは仕方ないとしても、重複はよろしくない。常に心がけていかなければならないことのひとつにある。障害のない人間が障害を持つ人間の全てを理解するのは不可能だとしても、いつも考える。気付くかどうかも大事だし、気付いた後にどう行動するかも大事だ。
11:58:12 「分からないから、哀しいことが多すぎるからって、感じる心を止めてしまってはダメなんだ。人の悲しさを、哀しいと感じる心があるんだってことを忘れたくない。それを受け止められる人間になりたいんです。」哀しいことが多すぎると感じることを止めてしまう。慣れたくないし、見失いたくないと思う。
12:03:42 人が自然の産物だとしたら、人が作り出したものもまた、自然の産物なのだろうか?すべては善意から始まっている。どこで道を間違えるのだろう、なぜ間違えたらやり直しそう、正そうとしないのだろう。大きな奔流ほど流れは激しく、流れに逆らうことはおろか、逸らすのさえ難しい。原発はどうだろうか。
12:06:31 道を選択できることは幸せなことだ、自分の生死も今日の暮らしさえ選択の余地のない人は存在している。何に対して感謝し、何を幸せだと感じられるかで人は変わる。傲慢なのは、他人を言い訳や大義名分の理由付けにすること。まず素直に己自身の心ありきで動けるかが真摯さにかかってくる。