とりゅうさん(@ki45kai)のカレンダー・ブログ形式Twitter | meyou [ミーユー]

 
  • とりゅう @ki45kai
  • なるだけたくさん本を読みたい。読んだら(読みつつ?)感想書きます。いわゆるノンフィクションがメインになっています。ツイログのアドレスです。http://twilog.org/ki45kai 笑覧いただければさいわいです。

  • 三浦半島の付け根あたりに生息   
  • Twitter歴: 4706日 (2011/07/04より)    一日の平均ツイート数 7.4つぶやき
とりゅうのカレンダー形式ツイート履歴
  • 04/05(木)
  • 7 tweets
  • 19時
  • 3 tweets
  1. ki45kai

    4月5日

    「音楽とは何か」つづき という意味で、これは社会における安全保障または社会福祉の、カルリ社会におけるスタイルという理解をしたほうがいいのでしょう。そこに「神話」が介在しているところに、歌への理解のみちすじがありそうです。
         

  2. ki45kai

    4月5日

    「音楽とは何か」つづき わたしたちの社会のありかたとはちがうわけですが、安易になにか理想をみてしまうのは危険なのでしょう。なにしろ、そもそもそういう必要・危険が、鳥まねの歌をなりたたせているわけですから。
         

  3. ki45kai

    4月5日

    「音楽とは何か」つづき いくつか考察をくわえてあるものの、おさらいです。さすがにもう、おおむね覚えてきました。こうした“解決方法”をとれるのも、カルリ社会のさまざまな事情・条件あってのことではあると思います。
         

  • 18時
  • 4 tweets
  1. ki45kai

    4月5日

    「音楽とは何か」つづき こういったある種のアクシデントは、その社会において特定のだれかのみならず、誰にでもおとずれる可能性があるわけです。そこでカルリの人びとは、いったいどうしたのかが、くだんの「歌」だった……というところまでは、くりかえしですね。
         

  2. ki45kai

    4月5日

    「音楽とは何か」つづき そうとうなインフラのととのっている社会においても、そこからの疎外はかなりあやうい。カルリにおいては、いっそうの安危の淵にいることになります。
         

  3. ki45kai

    4月5日

    「音楽とは何か」つづき あの鳴きまね歌をうたうのは「疎外」をかんじたときでした。カルリ社会においても、そういったことに直面することはある、ということでもあります。
         

  4. ki45kai

    4月5日

    「音楽とは何か」つづき リフレインがとまらないのですが、もういちど「カルリ社会」を思い返すことになります。なんだかすでになつかしい気もしますが、例の鳥の鳴きまね歌のこと。
         

  • 04/04(水)
  • 9 tweets
  • 19時
  • 6 tweets
  1. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき おおむねはそんな感じなのですが、すこし前に「共鳴の磁場」などという表現もされていました。そのあたりもふまえると、直接であるということは、内面にあるものがよびさまされるということでもある印象です。
         

  2. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき 音楽のとらえかたを表しているのは、やはり「共有」ということになります。こちらは、こころ・精神にたいしてのダイレクトアタックとなる“わかりかた”をする、ことになるのでしょうか。
         

  3. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき こうやって、わたし自身とはことなった、あいだを置いたモノ・コトとして“わかる”精神のはたらきが「悟性」であると。では、音楽のほうはどうだったのか。
         

  4. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき なにから「切り離し」、というのがつまり、自分からということになっています。だから「対象化」。ちょっとながくなってしまいましたが、ここはたぶん重要箇所のはず。
         

  5. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき おっかない話が続いているような気がします。著者の表現としては、もうひとつ「切り離し」といういいかたも使われています。切り離し=対象化=客観化、ということになる様子。
         

  6. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき ソレをことばとして捉えたとき、そのものが“何か”であるということは、べつのモノではないのと同時に、じぶん自身でもないという理屈。うむ、やっぱりなんだか……。
         

  • 18時
  • 2 tweets
  1. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき すべてのモノは、それぞれの何かではあるわけです。だから、言葉でいいあらわした段階で「対象化」「客観化」が、すでにはじまっているといえます。
         

  2. ki45kai

    4月4日

    「音楽とは何か」つづき モノそのものと「触れ合うことはない」のにわかるというのが「悟性」のありかた、ということになるようです。ふわっとした意味にもとれますが、たしかに「椅子」「円」は別個にあるだけ。
         

  • 10時
  • 1 tweets
  1. ki45kai

    4月4日

    はいしゃのこういしょう
         

  • 04/03(火)
  • 7 tweets
  • 19時
  • 4 tweets
  1. ki45kai

    4月3日

    「音楽とは何か」つづき ともあれ“わかる”ということを念頭に、ことばの能力・はたらきを整理すると、ちょっと不思議なものなのであるということがわかれば、ここはクリアということでいいように感ぜられます。
         

  2. ki45kai

    4月3日

    「音楽とは何か」つづき これはべつに、椅子に座れないとか、円を描くことはできないとか、そういったことをさしているわけではないと考えられるからです。それにしてもなんの本なんだっけ? という印象も。
         

  3. ki45kai

    4月3日

    「音楽とは何か」つづき べつの言いかたで「物それ自体」へじかに触れることはないのだという書きかたがされています。おそらくこれは、ずいぶんと整理したいいまわしではあるのだと思われます。
         

  4. ki45kai

    4月3日

    「音楽とは何か」つづき そのおかげを蒙るところはあるにせよ、椅子や円には、いちおう「現実」でもあります。それらを抽象化によって“わかる”ことでコミュニケーションしているのだとすれば、実体とのあいだにワンクッションがあることになります。
         

  • 18時
  • 3 tweets
  1. ki45kai

    4月3日

    「音楽とは何か」つづき こういった「概念」として、ひとつひとつの椅子なり円なりにこだわらないからこそ、コミュニケーションというものはなりたつということは、いえそうな気がします。
         

  2. ki45kai

    4月3日

    「音楽とは何か」つづき 例としては「椅子」や「円」のことです。これらは形をとったものであり、かつ、人はそれそのものというより「抽象化」されたなにかとして理解しているということになっています。
         

  3. ki45kai

    4月3日

    「音楽とは何か」つづき ちょっと悟性よりのはなしから。実体の物のなまえを言葉でいいあらわしたとしても、それは「概念」であり抽象であることになります。すこしく長めに、その解説。
         

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